鬱であってもなくても、面倒くさいことは面倒くさいし、やらなそうなことは元気であってもやんないのだ。世の中面倒くさいことばっかりで、歯ぎしりしながら生きていかねばならんのだ。 というようなことを、とあるサイトを見て思う。メンタルサイトらしからぬ、ドライで歯切れが良く、語り口の気持ちいいサイト。 なにか、目の前の霧が晴れたような気持ちになる(たぶん錯覚ではあろうが)。少し前向きになってみようかと。そして、漢(おとこ)らしく生きようと、ちょっとだけ努力してみよう。
書くのを忘れていたこと。 日曜に、沖縄から買ってきた小さいスノーグローブを割ってしまった。中身のイルカだけ、取っておいてみたが、台座も割れたグローブも、捨てるほかなかった。惜しいと思うけど、壊れたものは戻らない。
ただきちさんが仕事で留守。300円のミカンひと山買って帰る。ひとりでゴハン食べて、洗濯もの干して、寒中見舞いに切手を貼る。ネット眺めて、録画しといた『十二国記』のアニメ見て。一人でいるときのほうが充実してるんじゃないのか。一人上手なんじゃないのか。他人に依存しているくせに。 でも、寂しくて仕方がない。鬱そのものが辛いよりも、寂しくて人恋しいのが致命傷なのだ(っていうのは、先のサイトの受け売り、しかもうろ覚え)。寂しくて、人にほめてもらいたくて、大事にしてもらいたくて仕方ない。泣きべそかいてる子どもみたいに。幼少期、そんなにも愛情が不足していたのか?
とかなんとか、辛気くさいこと書くのも良くないかなと思うけど、日々の心の動きの記録なので書いてしまへ。あとで恥ずかしく思う日が来るかもしれないが。そして遠からず、痛がゆく感じるに違いないのだが。 だいたい、こうやって日記を書いて、出勤できているんだから、調子は悪くないのだ。本当に悪いときは、黙って何も書かず、じっとしている。先週半日休んで、連休も寝まくって、少し充電できたのだろう。だからと言って無理はしないのが肝心。さじ加減が難しい。なにも考えず、自然体で楽に生きられるようになりたいものだ、たぶん大多数の人がそうやっているみたいに。
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