花屋の店先に大きな花入れがあって、サツキとユキヤナギの大枝が活けてある。天に向かって伸びる枝、いのちが燃えているみたいな紅と白。
停滞気味。疲れるようなことはしてなくとも、いくら寝ても眠いことがある。
昨年暮れ頃から田口ランディを読み始めた。幻冬社から文庫が出て平積みになり、『コンセント』の映画化が決定して、そのあたりがきっかけだろうか(正確には、その頃、読んだ人にすすめられた)。 先般、盗作の疑いがあると報道され、なんでまたと思ったら、1年ほど前からネットの一部では周知の事実であったらしい。告発サイトや関連の場所をざっと眺め、こういうことだったのかと納得もした。 それじゃあ、12月に読んで「面白い」と思った俺の目はフシアナサンだったのか、“ランディマジック”の術中にあったのか。パクリだったとしても、欠点がたくさんある作家だとしても、自分はあのとき、綴られた文章に輝きと魅力を読み取ったのだ。その輝きが、作者が自分の力で作り上げたものでないとしたら、悲しい。っつーか、やりきれない。
「不幸の連続」などとは言うまい、「とんでもない目」に遭っている人がいる。肉親が衰えたり死んだりすることは誰にも訪れる。なんでこれしきのことが耐えられないとおのれの不甲斐なさを嘆き、一方では、耐えて受け入れて乗り越えて、進んでいけるかどうかは人それぞれなのだと自分に言い聞かせる。 四十九日の法要は心身ともに疲れていたので欠席した。はっきり言えば、バックレたんだよ。ひどいなあ俺、おとうさんゴメン。とか思いながらも出かけることをしなかった。生きている人と顔を合わせるのが辛いからなー。人間関係って面倒くさー。亡くなった人に対しては後悔と悲しみを覚えるのみ、生きてる人のほうがよっぽど手がかかる(自分含む)。
週末ずっと引きこもっていたら、業を煮やしたただきちさんによって外に連れ出された。新宿まで行って映画。『聖石傳説』という台湾映画。伝統芸能の人形劇に特撮やCGを加えて、見たことのない画面効果を作り上げている。ものを作り出す人のちからは素晴らしい。
--- ※訂正(2002.4.18) 幻冬社 → 幻冬舎 でした。
|