ちちやす日記   こんげつぶんきのうあしたかこぶん


2002年03月06日(水) 初七日を終え、帰京する
 朝からお寺に行って、初七日の法要。葬儀の日に四十九日を繰り上げて行い、納骨も済ませたとは言え、七日ごとの法要はせねばなるまい。故人を思い出すとともに、気持ちに区切りをつけてゆくためにも。

 本堂で焼香をすませたあと、住職の話を聞く。法名の話(浄土真宗では「戒名」ではない)、仏教の成り立ちから近在にある真宗の寺の数まで、興味深い話題ではあった。仏典訓話と思われる「まだ死人が出たことのない家の唐辛子の種」の話の言わんとするところは、死別の苦しみは普遍のものだということか。父親を亡くした子ども、夫を亡くした妻、働き手を失った家、うち以外にもたくさんある。悲しいのは自分だけじゃない。すぐに悲しみが癒えないとしても、前を向いて生きなさいと、お釈迦様の昔から説きつづけられてきたのだ。

 法要のあと、近所のスーパーへ買い出し。お土産用の米菓いろいろ(キオスクで買うより、こういう袋菓子のほうが安くて美味しい)、それと、父の好きだった豆入りのおかき。最後に会ったときに食べていた殻つきの落花生も買い、仏前に供える。こんなことしかできないから、せめてなにかしら気持ちを込めたものを供えたかった。

 雑用をしているうちに夕方になり、祖母を見舞ってから帰ることにして、交代要員の叔母とともに病院に車で送ってもらう。義姉が、見えなくなるまで家の前で手を振ってくれた。
 祖母はだいぶ回復してきているとは言え、無口(あるいは不機嫌)に見える。あちこち痛くて苦しいのを、じっと耐えているから無口になるのだ。おばあちゃん、と呼んで手を握っても辛そうにしている。ひ孫たち(兄の娘ふたり)が顔を見せると少し笑顔になったが、すぐにまた寝返りをうち、押し黙ってしまう。「また近々くるからね」と挨拶をし、心を残しながら病室を辞す。

 病院の最寄り駅で、特急と新幹線の切符を買う。入場券のコレクションをしている人のことを思い出して、一枚購入。すでに持っている可能性もあるけど、この駅に来ることももうないだろうから、とにかく買っておいて、あとで聞いてみよう。
 PHSはもう電池が切れそうになっていて、待ち合い室の隅にある公衆電話にテレホンカードを入れて、新潟の友人に電話する。こういうとき、また携帯の使えない病院などでも、まだテレホンカードの活躍する余地はある。「これから東京に帰るよ」と言って、ちょっと声を聞くだけにしようと思ったのに、堰を切ったように涙があふれた。泣けて泣けてしょうがない。家族から離れて一人になったせいか、まだこんなに泣けるのかと思うほどに泣けた。そんな自分を見かねてだろう、友人が新潟駅まで来てくれると言う。悪いなあとは思ったが、素直に受けた。

 新潟に向かう列車の中でも、なにか思い出すたびに、ほろりほろりと泣けた。何度も何度も乗った路線だけど、こんな悲しい気持ちで乗ることはしばらくごめんだ。これからも辛いことはいくらでもあるし、最後の一回でないことは分かっていても。
 新潟駅では、新幹線ホームまで見送ってもらった。今度は友人の気持ちが嬉しくて泣きそうになる。悲しくても嬉しくても、涙に限りはないようだった。

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 帰省中に期限の切れていた通勤用の定期券を購入。明日からはまた、日常が始まる。これまでと違っていることは、父は遠くにいて会えないのではなく、もういないということだけだ。


かこぶんきのうあした
ちちやすになんか送る




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