二ノ宮啓吉の区政日記
DiaryINDEXpastwill


2005年04月05日(火) 目黒不動尊の近代美術展のお誘い

 目黒区美術館では平成17年4月23日(日)から5月22日(日)26日間
目黒不動尊の近代美術「書家 豊道春海と彫刻家 後藤 良」伝統と近代の相克と題して。
 古くから江戸庶民・東京市民の信仰を得てきた目黒不動尊にここに芸術的
深くかかわった二人の芸術家
以下は目黒区美術館のホームページをここに乗せました。
詳しくは写真と解説が載っております。

mmatoffice @ mmat .jp を開いて下さい。


目黒不動尊の近代美術 書家・豊道春海と彫刻家・後藤良
大字揮毫に取り組む、75歳の豊道春海
(1952年、東京都美術館)

豊道春海『無塵』
(目黒不動尊瀧泉寺蔵)


完成時の目黒不動尊瀧泉寺仁王門
(1962年)と 後藤良『仁王尊像』 (1962年)

 目黒不動尊の近代美術
書家・豊道春海と彫刻家・後藤良
〜伝統と近代の相克〜

2005年4月23日(土)−5月22日(日)
月曜休館 開館時間:午前10時〜午後6時、ただし入館は午後5時半まで

目黒区美術館
1階:エントランス、ワークショップ、2階:A展示室、B展示室、C展示室、展示ロビー

一般=600円(500円)、大高生・65歳以上=400円(300円)、中小生=無料
( )内は、20名以上の団体料金、心身に障害をお持ちの方は半額です

主催: 目黒区美術館

共催: 天台宗目黒不動尊瀧泉寺、目黒区教育委員会、目黒区(観光・雇用課)

助成: 財団法人地域創造

協力:
東京急行電鉄株式会社
目黒不動商店街振興組合、大鳥前商栄会、権之助坂商店街振興組合、大鳥前元競馬場通り商店街振興組合、田道商店会、油面地蔵通り商店振興組合、不動前駅通り商店街振興組合







目黒不動尊瀧泉寺境内
『春洞西川先生碑』の前に立つ豊道春海
撮影:五十嵐千彦目黒不動尊瀧泉寺境内の『春洞西川先生碑』、そして、仁王門に立つ『仁王尊像』。この二つの作品の、今はあまり知られていない作者たちは、日本の書道界、美術界で、どのようなポジションに位置したのでしょうか。二人の軌跡を追い、見えてくる共通点が、日本の性急な近代の受容の仕方への慎重な姿勢だとすれば、今、彼らと彼らの作品は私たちに何を示唆するのでしょうか。明治、大正、昭和と繰り広げられた彼らの制作の軌跡を通じて、日本の近代の在り方を再考いたします。

 



近代書のうねりを作る書道団体を創設し牽引し続けた書家、東京府美術館で書の展覧会開催を実現し、書を会場芸術とせしめた書家、戦後廃止された書写(習字)教育をマッカーサーに直談判して復活させた書家、日展に書(第5科)を開設させた書家、書の身体性を伴ったパフォーマンス的な大字揮毫で書に新境地を切り開く一方、勃興しつつあった前衛書の未来を予感しながら、「文字性」を失うという理由で‘否定’した書家、日中の書の架け橋の先陣を切り、日本人初の共産主義中国での個展で30万人を動員した書家、さらに天台宗大僧正でもあった豊道春海(ぶんどうしゅんかい・明治11年9月〜昭和45年9月)。
戦前の日本書壇の基礎を打ち固め、戦後には書の未来を見据えた活動に邁進した豊道春海の名前抜きには、日本の近代から現代にかけての書の流れは語り得ません。それにもかかわらず、今日、豊道春海について、盛時の彼の活動と作品について知る人は決して多くなくなっています。それは、なぜなのでしょう。全国でしばしば開催される書の回顧展の多くが、カリグラフィーとしての視点や、書の革新性を重んじてきたがゆえに、彼のオーソドックスなまでに正統的な書の真摯な追求の軌跡を見定めにくくなっているのでしょうか。しかし、一見、保守的に見える豊道の書の軌跡に、書の伝統に根ざしながらの革新の志向を認めることも出来るのです。 最初にあげたように、書家としての波乱万丈な生涯ばかりに眼を奪われず、言及され素ことの少ない豊道の書作品の正当な評価を試みること、そうすることで、保守伝統にくみすると思われがちだった豊道が、書界ばかりでなく、書の「文字性」に固守しながらの書の飛躍と革新を目指していた軌跡の再評価となっていくのではないでしょうか。



後藤良(ごとうなおし・明治15年1月〜昭和32年3月)は、上野公園の高村光雲作の『西郷隆盛像』の犬部分や、皇居前の『楠木正成像』の馬部分を制作した彫刻家・後藤貞行の二男として生まれ、幼少時から高村光太郎と交友関係があり、東京美術学校(現・東京芸大)にも同期に入学し、彫刻を学ぶという、彫刻家的環境に育っています。
彫刻家としての軌跡は、当時の日本美術協会展などへの作品出品で明治期に始まります。が、大正期に、宗教的かつ古典的なテーマを、西欧モダニズムやギリシャ彫刻の様式を取り込みつつ、簡潔にして崇高さを漂わせたフォルムの作品で、文展・帝展での評価を得ます。それが、彼の彫刻家としての本格的な活動を可能にしました。その制作に使われた技法が、西洋古来の石彫技法である星取り技法の木彫への援用でした。同様に木彫に星取り技法を援用した作家に、平櫛田中がいます。 その後、後藤は一途に、能の<面、衣裳、動作>をテーマに、日本的な木彫としての精緻な表現に取り組んで、能彫のスタイルの確立者となりました。細部まで作り込んだ石膏塑像を、木彫にそのまま移し取るという技法で、能の舞手のモデル写真を彫刻作品に寸分違わぬ形姿へと制作した木彫作品は、ある意味、写真の立体化ともなっていて、今日のフィギュアー表現の先駆と言えなくもありません。



後藤良『蘭』
1951(昭和26)年、第7回日展近代彫刻の牽引車であった高村光太郎は、能それ自体に既に<彫刻美>を認め、その彫刻化を否定しましたが、それは光雲的な<木彫師>の否定の意識とも関連するのでしょう。従って、後藤の足跡は、光太郎や荻原守衛らのロダンの紹介に始まる西欧的な近代日本の彫刻の系譜に、違和感を覚えていたに違いありません。光雲ばかりでなく、父・貞行の仕事を引き継ぐ<木彫師>な自負に基づき、日本的な木彫の再興を能彫で果たすこと、後藤が目指した彫刻は、そのようなものだったのではないでしょうか。
目黒不動尊のための「仁王尊像」は、彼の晩年を賭けた大きな仕事でした。そこでは、今日的なボデイビルダー的身体という具体性を手がかりに、一方で、伝統的な仏教彫刻としての仁王尊像のイメージを踏まえた雄渾な表現で、昭和ならではの仏教彫刻のリアルを追及しています。そこに見ることのできる近代の表現に迎合しない制作には、ポストモダンに通じる姿勢さえ窺えるように思います。 後藤良没後50年弱、今回、木彫作品の「石膏原型」約30点余りが発見されたことで、近年、知る人の少なくなった星取り技法が、日本の伝統的木彫に与えた影響や意味を見直す機運の場となることも期待します。







●関連催事

1 ギャラリートーク
1 「目黒不動尊西川春洞先生碑と豊道春海の芸術」

4月30日(土) 午後2時〜3時30分
菅原教夫(読売新聞東京本社文化部長)vs印南溪峻(書家、豊道春海・孫)



--------------------------------------------------------------------------------

2 「目黒不動尊仁王像と後藤良の芸術」

5月7日(土) 午後2時〜3時30分
綿引孝司(彫刻家、仁王像制作スタッフ)vs安原喜孝(陶芸家、後藤良・孫)




2 ギャラリー座談会
「文化資源としての'目黒不動尊'と地域振興」

5月14日(土) 午後2時〜3時30分
宮廻正明(日本画家、東京藝術大学教授)vs中山正(あきら)(玉川屋支配人)
vs青木英二(目黒区長)





出品内容

豊道春海 「春洞西川先生碑拓本」(早稲田大学會津八一記念博物館蔵)
「八風吹不動」(東京国立博物館蔵)
「寒山詩」(東京国立近代美術館所蔵)
「草書閑適」(東京都現代美術館)
「行書千字文」「清神」(東叡山寛永寺蔵)
「無我天真」「無塵」(目黒不動瀧泉寺蔵)
「程ほど」ほか(栃木県立美術館蔵)
「天意無私」(大田原市蔵)ほか大田原市内所在作品
「心」(日本芸術院蔵) 
その他,、約70点を予定

後藤良 「寶生重英匠能姿国栖」「立花供養」(耕三寺博物館蔵)
「能姿野口兼資師黄石公」(東京藝術大学大学美術館蔵)
「目黒不動尊仁王像原型」(目黒不動尊龍泉寺蔵)
「道成寺」(道成寺蔵)
「能彫 瀬尾要君の熊坂」(交詢社蔵)
「随神」(根津神社蔵)
木彫作品約10点(個人蔵)、
石膏原型約30点(2005年度筑波大学所蔵予定) 
その他、 計約80点を予定
その他 「記録映画 豊道春海」(1962年、3巻)ビデオ放映
(著作権調整中)ほか





カタログ

A4判約120ページ(表紙カラー、中頁カラー&モノクロ)







問い合わせ先

目黒区美術館
〒153-0063 東京都目黒区目黒2−4−36
TEL.03-3714-1201(代表) フリーダイヤル:0120-13-1201



e-mail:mmatoffice@mmat.jp





 


ninokei |MAILHomePage

My追加