二ノ宮啓吉の区政日記
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2004年04月11日(日) 祝う海福寺第30世の晋山式に

 明治四十三年深川の地より目黒の地に移転して参りました黄バク宗の
禅寺で開祖は隠元豆の隠元禅師で有り第30代を数えるお寺であります。
この度飯田祐伝和尚の後継者として27歳の若さで海福寺の住職として
就任されました。
 桜も若い息吹で青々とした、今日のよき日に、晴天の恵を受けて晴れて
新住職と成られた晋山式に参加する機会を頂ました。
太鼓と鐘とを交互に打ち鳴らして山門でまず禅問答の後に本堂に入場された
前飯田住職が退任のご挨拶に立ち、ご本尊に向かって手に持った風呂敷の様な布を敷き、ヒンズウー教の「五体投地」の様に(座具と言う)礼を三回行い、報告し、「海福寺の穏やかならん事を」と報告し唐音「トオイン」(中国の明の発音に近い中国語)で読経が始まり、禅僧の禅問答に始まって、最後に「万福・万福・万万福」と締めくくった。
先代に当たる飯田祐伝和尚は禅宗の寺では引退する事を(かんせいさん)閑栖さんと言うそうで、ご隠居として寺を守って行きたいと挨拶され、
続いて新住職になられた、(哲也改め)晃玄和尚がご挨拶をした、父親である
祐伝氏より「金・銀・銅」の話を頂いた、銅はお金で、銀は名誉で金は人を残す事であると教育された話に皆感激していた。
 黒い帽子に赤い袈裟をかけ、本堂の中でも赤い靴を履いて臨むんでた。

一時より場所を雅叙園に移して祝宴が開かれた、大本山満福寺の高僧が初めにご挨拶されて、次に私にと紹介され、さてさて二番目とは聞いてない、
隣に目黒不動の滝口住職・五百羅漢寺の日高貫主や須田保護司会会長が居る
のに、驚いた、
私は先々代の飯田痴童?住職の奥様で大変おしとやかな操様のご苦労話と
前住職の祐伝住職の保護司としての献身的な活動・音楽家として働き・
に交えて町の困った人に対しての心づかいに感謝して、若い住職もお父様の
様に人から手を合わされる様な住職となられん事をお願いしてご挨拶を締めくくった。

 


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