二ノ宮啓吉の区政日記
DiaryINDEXpastwill


2003年07月27日(日) 「乱飾」拝受披露の茶会に当たり

 今日目黒雅叙園にて私の女房が茶道「松尾流の最高位」の乱れ飾りの位を頂きお祝の宴を開かせて頂きました、雅叙園の入り口に「乱れ飾り」と馴染みの無い言葉ですので、通る人がどの様なお位いですかと尋ねる人がおりました。
私自身も良く知りませんので松尾流の流れの書物を読ませて頂きました。
家祖は利休と同じ時代の茶人で辻玄哉と言う人が家祖と言われております。1720年に尾張名古屋の尾張家に京都におりました、流祖と言われたる初代
楽只斎宗二氏が京文化と茶の湯を教えに歴代の家元は名古屋に出張稽古に参っておりました。
近衛家の姫君の安己君が尾張六代の藩主継友候へ嫁がれたのを機会に二代目
習古斎宗五氏が尾張の御用を務める事となりました。
 その後京で蛤御門の変で京都の松尾家が戦災に合い、以来300年の間名古屋地方の茶道文化と京文化の伝承に努めており、京都・名古屋・岐阜・三重地方が中心で江戸(東京)えはなかなか流派の広がりが見られませんでした。
 その後人の流れと神社の方々・神官の方々と公家の流れを組む人々が江戸
に移転され東京でも松尾流の流れを組む茶道が普及し始めました。
水天宮の赤司宮司さんや松尾家の人々の努力により東京でも茶道を嗜む人の中では公家の流れを組むお流儀として知られております。
 13代妙玄斎宗典家元もお若くして相続しましたので、茶道界で活躍しており、今後の活躍が期待されております、又 女房も東京では若手の方で
松尾流の理事として各会合に出させて頂いております。

全国で「乱飾」の位を受けておる方は5-60人と聞いております。
益々その責任は重くしっかりしないと笑われますので。
女房にとつても65歳になったので私も女房考行を今日一日は致しました。

お陰さまで近畿地方から家元始め大奥様と一門の方々が多数見え、
その上目黒区茶華道連盟の方々と百余名の御出席を賜り盛大に催す事が出来
た事を感謝しております。
遠方よりおいで頂いた方々の心温まるお言葉を賜り感謝申しあげます。
今までなかなか開けず、私の選挙が有ったり、昨年は私が病気をしたりして披露の宴が持てず、今日は一日女房考行ができました。



ninokei |MAILHomePage

My追加