二ノ宮啓吉の区政日記
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2002年10月25日(金) 田道小70年に思う

田道小70周年記念式典に参加して

昭和7年10月20日下目黒小学校478名と中目黒小学校より
61名の児童で開校し東京府東京市田道尋常小学校として発足し
本年で70周年を迎える事ができました。
 私と田道小学校とは敗戦後20年21年頃まだ下目黒小学校が
戦争で消滅して再興が遅れており下目黒小の学童が田道小に間借り
をする時代がありました。                             私は神奈川県厚木に母方に縁故疎開をしており、下目黒小は山梨
県の塩山に田道小は福島県白河に学童疎開をしてました。
 敗戦を迎えて東京に戻って来たが学校は焼け野原で、田道小学校
に間借りする事となったのでしょう。                       
 二部授業で私たちはまだ3.4年生で午前中に終わったり、午後
から学校に行ったりで、一日も早く自分の学校が欲しかつたです。
 利根ボーリングを曲がり都電を通す新しい道を進み鉄道の歯車や
レールの錆びた鉄が沢山ある所を通って田道小学校に通いました。
 田道小の近くは戦争で消滅をまのがれた大きな家が何件かあり門
の呼び鈴を押しては急いで校門を入って行った悪ガキでした。
雪がふり、校庭で田道小の子と雪合戦をした事も今は懐かしい事です
教科書は薄ぺらの新聞紙の様な紙で切りとって綴じました。
 私が5年生になってやつとのことで下目黒小学校で勉強が出来る
ようになり、教室にわ机もイスも有りませんでした。
皆思い思いに箱を持ち込み座布団を作ってもらつて板の間にじかに
座って勉強をした思い出がよみがえります。
そして小学校に入って初めて運動会が有りました、私は足は速いので
運動会は花形選手でした、胸には沢山のリボンを頂き賞と赤い印を
押されたノートを何冊ももらってまいりました。
 2クラスで1クラス50人位おり教室の後ろまでいっぱいでした。
50年前を思い出して今の子供達にあの頃の話をしてみたいですね。


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