広島生まれ広島育ちのめいが書くなんちゃって広島弁日記(現在鳥取在住)
2006年01月22日(日) 我が家の男子駅伝の視点
某所で広島風お好み焼きの昼食を食べよった時
テレビのチャンネルが
“都道府県対抗男子駅伝@広島”になっちょった。

食べ終わった後、和鋼博物館を見学した後
「どこか行く?」
と言われたんじゃけど、特に何も無かったし
「ラジオで駅伝聞く位ならテレビで見ん?」
と言うて帰宅する事に。

家に帰ってテレビを付けると
既に折り返し地点を過ぎたところじゃった。

「今、どの辺?」
と旦那さまに聞くうち。
「今、高架の下を通ったけぇ○○○の辺りかの。」
「なるほど。」
折り返し地点から少し過ぎた辺りは
以前旦那さまが住んじょった場所。
場所の表示が無い時には旦那さまに聞いた方が早い。

それからしばらくすると見覚えのある景色が。
今度はうちの実家の周辺。
「いつじゃったか忘れたけど、
 うちの実家の窓から駅伝見たよね?」

(実家の窓からほんの一瞬だけ見えるんよ。)
「ほういえば、見たよの。いつじゃったかの?」
いつだったか思い出そうとしばらく考えるうち。
(その時の日記→2004年1月18日の日記

そうこう考えちょるうちに見覚えのある景色になった。
うちが病院で働いちょった時に自転車で通っちょった道。
こうして見るとまた違う感じがする。


駅伝は駅伝で見とって楽しいんじゃけど、
この駅伝だけは視点がちぃと違う。
別の意味で思い入れのある駅伝なんかもしれんの。


駅伝の結果、故郷広島は久々に入賞。
(広島は中□電力があるけぇ社会人は強いけど
 中高生がパッとせんけぇ、期待して無かったんじゃけどの。)
地元、鳥取はスタートからずっと47位。
(要するに最下位(苦笑))
最後に3人抜かして44位になったらしいけどの。
翌日の地元新聞に“対抗駅伝チームに強化費”ちゅう
記事が載っちょって思わず苦笑いしてしもうた
旦那さまとうちだったんじゃ。
2005年01月22日(土) 米子帰着
2004年01月22日(木) 真冬日直前

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