2005年09月10日(土) 9月11日
は投票日でもあるんじゃけど
9月11日はうちにとっては忘れられん日。
4年前の今頃、某病院に入院しちょったうち。
その年の6月半ばに仕事を辞めたものの
その時のストレスからくる拒食状態から
なかなか抜け出せんかったうち。
2ヵ月後、水すらも受け付けん状態になって
病院に行ったところ下った診断は即入院。
その頃にはテレビに映る食品を
見るだけで気分が悪くなる有様。
とりあえず栄養を取る為にIVHを入れられ
原因を探る為に検査。
(IVH→大静脈に管を入れて輸液で栄養補給する方法)
定期的な血液検査に加え
レントゲン・胃カメラ・腹エコー・
胃透視・大腸ファイバー・CT数回
挙句の果てにはホルモンの検査までやったけど、
結果は異常なし。
本来なら問題なく食べられる状態。
検査結果を踏まえた上で食事が出された。
まずは三分粥から五分粥、七分粥、普通のご飯と
なるところだったのだけども
途中で吐き気に襲われ断念。
しばらく日を空けて
次は流動食からの出発じゃった。
途中で気持ち悪くてこっそり戻していた時もあった。
このままではと思い
「神経内科に紹介して貰えませんか?」
そう主治医に言った事もあったの(苦笑)
そんなこんながありながらもちぃとずつ回復。
何も無いまま1日を過ごす事が退屈になってきた。
この時、普通のご飯を食べたばかりの状況。
ちゃんとご飯を食べれるかどうか自分でもわからん状態。
入院しちょる間にも体重がどんどん減って
体の1/6がどこかに消えた。
非常階段で階段上ってたら途中でフラフラになってしもうて
『ここで倒れたらいつ発見されるんじゃろう?』
なんて事もあった。
『これからこの体とどう付き合えば?』
『働かんと生きていけんけど、どうすれば?』
不安だらけ。
何をどうしたらええんかわからんけど、
『このままここにおっちゃ駄目じゃ。』
そう思うて主治医に頼みこんで退院した日。
それが2001年9月11日。
家に帰ったところでとくにやる事は無い。
ちゃんとしたご飯を数回しか食べて無い状態で
退院したもんじゃけぇ体力が全然無くて
大人しくテレビを見る事位しか出来ん状況。
その時じゃった。
NYのビルに飛行機が突っ込んだ映像を見たのは・・・。
こうしてうちにとっては忘れられん日になった。
あれから4年が経とうとしちょる。
以前は
『消えんかの・・・。』
IVHの跡。
今は随分薄くなってきたけど
『消えんでええかも。』
そう思うちょる。忘れん為に。
あの時の事を思い出すといろんな感情が出てくるけぇ、
あまり思い出しすぎるのも良くないんかもしれんけど、
今の時期だけは思い出すのを避けては通れん。そう思う。
何はともあれ、
そんな状態のうちを暖かく見守ってくれたうちの母と
うちの話を聞いてくれた旦那さまに感謝。
『ありがとの。』
2004年09月10日(金) 話題
2003年09月10日(水) 嗚呼、夏休み その4 住所変更
9月11日はうちにとっては忘れられん日。
4年前の今頃、某病院に入院しちょったうち。
その年の6月半ばに仕事を辞めたものの
その時のストレスからくる拒食状態から
なかなか抜け出せんかったうち。
2ヵ月後、水すらも受け付けん状態になって
病院に行ったところ下った診断は即入院。
その頃にはテレビに映る食品を
見るだけで気分が悪くなる有様。
とりあえず栄養を取る為にIVHを入れられ
原因を探る為に検査。
(IVH→大静脈に管を入れて輸液で栄養補給する方法)
定期的な血液検査に加え
レントゲン・胃カメラ・腹エコー・
胃透視・大腸ファイバー・CT数回
挙句の果てにはホルモンの検査までやったけど、
結果は異常なし。
本来なら問題なく食べられる状態。
検査結果を踏まえた上で食事が出された。
まずは三分粥から五分粥、七分粥、普通のご飯と
なるところだったのだけども
途中で吐き気に襲われ断念。
しばらく日を空けて
次は流動食からの出発じゃった。
途中で気持ち悪くてこっそり戻していた時もあった。
このままではと思い
「神経内科に紹介して貰えませんか?」
そう主治医に言った事もあったの(苦笑)
そんなこんながありながらもちぃとずつ回復。
何も無いまま1日を過ごす事が退屈になってきた。
この時、普通のご飯を食べたばかりの状況。
ちゃんとご飯を食べれるかどうか自分でもわからん状態。
入院しちょる間にも体重がどんどん減って
体の1/6がどこかに消えた。
非常階段で階段上ってたら途中でフラフラになってしもうて
『ここで倒れたらいつ発見されるんじゃろう?』
なんて事もあった。
『これからこの体とどう付き合えば?』
『働かんと生きていけんけど、どうすれば?』
不安だらけ。
何をどうしたらええんかわからんけど、
『このままここにおっちゃ駄目じゃ。』
そう思うて主治医に頼みこんで退院した日。
それが2001年9月11日。
家に帰ったところでとくにやる事は無い。
ちゃんとしたご飯を数回しか食べて無い状態で
退院したもんじゃけぇ体力が全然無くて
大人しくテレビを見る事位しか出来ん状況。
その時じゃった。
NYのビルに飛行機が突っ込んだ映像を見たのは・・・。
こうしてうちにとっては忘れられん日になった。
あれから4年が経とうとしちょる。
以前は
『消えんかの・・・。』
IVHの跡。
今は随分薄くなってきたけど
『消えんでええかも。』
そう思うちょる。忘れん為に。
あの時の事を思い出すといろんな感情が出てくるけぇ、
あまり思い出しすぎるのも良くないんかもしれんけど、
今の時期だけは思い出すのを避けては通れん。そう思う。
何はともあれ、
そんな状態のうちを暖かく見守ってくれたうちの母と
うちの話を聞いてくれた旦那さまに感謝。
『ありがとの。』
2004年09月10日(金) 話題
2003年09月10日(水) 嗚呼、夏休み その4 住所変更