2002年03月10日(日) |
Mr, Hosono |
先日、Teiさんのword playに細野さんのリンクが張ってあったので飛んでいってみました。 そこに細野さんのショートコラムというかダイアリーのようなものがquiet voiceというタイトルで張り出されてたのでさらっと読み流してみました。
その中のひとつにhosono boxのことがかかれてあり、それを読んでみて感じることがあったので今日はそのことについて書いてみます。
細野さんといえば、YMOを作った人、いわゆる日本にテクノポップというジャンルを持ち込んだというか打ち立てたといっても過言ではない、そんな方です。 しかし、創設者にもかかわらず、3人の中ではあまりめだたない。YMO後、坂本さんは世界のsakamotoといわれるようになり、高橋さんは80年代の日本のポップスをリードしていく。 そうした動きの中で細野さんはあくまで静かに、自分の音楽を作っていった。そのように感じます。
その後、時は流れ、細野さんをリスペクトするいろんなジャンルのミュージシャンがあつまり、hosono boxをつくり、それが大きな成功を収める。
このコラムの中で細野さんは"このセールスで自分はおおきな愛を感じた"と語っていらっしゃいます。
アーティストとして、いや、アーティストではなくても"やりたい"ことと"成功する"ということは必ずしも一致しない。 このコラムの中でこのようなくだりがあります。
"昔、あるメジャーのエクゼクティヴが「細野君、もっと女の子にもてる音楽をやれば?」と言った。でも出来ないんだよ、そんな器用な事。天分がないんだから。"
細野さんがすごいとおもうのが、たいていのアーティストはここで"できない"とはいわない。まあ、謙遜されてるとはいえ、普通は"あくまで自分のやりたいことを追及してるから"とかそういう答えが返ってくると思うのです。
ここに細野さんの当時の葛藤のようなものが表現されているような気がしました。
そして、周りの人間の協力によっていわば今までの集大成のような作品ができる。そして、その作品によってその協力された人やリスナーの"愛"を感じ、それに感激しておられる細野さん。
やっぱり人間、一人では生きてはいけない、いや、生きていけないこともないんだろうけど、周りの"愛"というのは本当にありがたいものなのだというのをこのコラムを通じて感じました。
ずいぶんまえにここでジャック・マイヨール氏が自殺したことを書きましたが、周りからの愛を感じられなかったマイヨール氏と、周囲の愛を実感できた細野さんが非常に対照的に思えました。
若いころはそんなことは考えもしないし、考える必要もない。でも、こうした尊敬すべき人たちからこのような現実を聞かされるとそうしたことはやはり必要なのだということを認めざるをえない、そんなことを考えました。
その記事へのリンク daisyworld
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