×追伸、また会いましょう×
ひろ



 何が如何して良いのか

泣いた。
色々なものがやりきれなくて。

テレビから聞こえるニュースとか。
身の回りの事とか。
学校とか。
これからの事とか。

前が見えなくて。
どうしたら一番良いのか。
解らなくて。

泣いた。


ヒステリックになって物も投げた。

壊した。

それくらい、
やりきれなかった。


辛かった。

一人で将来を決めなきゃならない事。
金銭的負担をかける事が免れられない事。
今はまだ通ってる場所があること。
結局は其処から逃げるという事。
徳さんが励ましてくれる事。
周りの心配。

全ての事が、いつの間にか重荷に変わっていた。


余談ですが。
アタシは中学受験の進路を決めた時、
両親が丁度、脱サラして自営業を始めたばかりで、
一人で塾に行き、一人で学校見学に行き、
全ての権限はアタシにありました。

小学生だったアタシは、
その学校の第一印象くらいでしか選ぶ術を知らなくて、
大学なんて遠い将来だと思っていて、
簡単にいけるなら、と
大学付属の今の学校を選びました。

大学付属という事は、
自分の大学をより越えて、5大学を目指す学校です。

小学生のアタシにはそこまで考える余裕がありませんでした。

アタシの通う学校の大本は日本大学です。
名門5大学には入らないとは言え、
名は通っていて、6大学にすれば数えられる大学です。

最低でも、日大。
日大へ進学するにも、付属校から馬鹿は要らない。
最低でも、日大。
つまりは狙いは5大学。

それに気付いたのは中学3年になってからでした。


高校へ入学し、すぐに大学を見据えて過ごす事。
ソレを知ったのは、高校入学後の説明会ででした。

前提、なのです。
学校側からすれば、それを解っていて入学していると思ってるのです。

小学生のアタシには解りませんでした。
知りませんでした。
深く考えていませんでした。


地元の中学には行きたくない。
友達が居ないから。
私立へ行きたい。
少しは、『頭がいい』と言われる存在だったから。

自惚れている自分にも気付かずに。


受験して、合格して、通っていた。



一番のアヤマチは、小学生だったのに一人で進路を決めた事。
それに気付いたのは、昨日、母親に感情的に全てをぶちまけた時だった。





母親もアタシも気付いていなかった。
過ぎた事だったし、見向きもしない過去だった。
でも、それが一番の間違いだった。



中学3年生の時点で、父親の事もあって早く自立もしたかったし、「金銭面」で問題が起こると、自分が攻め立てられ重荷になるのは解ってた。
大学に行かない事は決めていた。







少しずつで良いから。
やっていこう。


と、言ってくれた一言で、また、涙がこぼれた。

学校も、時間は少ししかないけれど、見学しよう。
と。
言ってくれて。

涙が こぼれた。



『アタシ』を尊重して今まで進路を決めてきたと思っていた。
違った。
『アタシ』に全てを任せすぎて親が関与しなさ過ぎていた。

そう、小さな勘違い。
そして大きな吐き違い。


「親」は。
子供のしたいようにさせて、子供もソレがいい、と言っている。
今は仕事で手一杯。でも子供が望んだ事だから。

「子供」は。
親の手は煩わせたくはない。大変だから。
自分だって解るはず。自分が良いと思ってるんだから。



『子供』の視界は、狭すぎて、
『将来』を見据えた選択は、まだ早すぎた。



『将来』を見据えた選択は一人でするものだと思っていた『子供』は、
第二の選択を迫られ、逃げ場が無くなり…壊れた。







小さな事からやっていこう。
それが、一つの結論。

2003年11月18日(火)
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