Kumsta kayo?(富山編)
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2003年03月24日(月) 考えること


一方では自分の意志で命を絶つ者がいて、一方では生きたいのに生きることが出来ない。

生きることに希望をなくした人は、その命を人に譲るような余裕はないだろう。

臓器移植のように命が移植できるようになったとするならば、
そのために貧しい国では、子供が売られたりするのだろうか。
お金を持った命の亡者は、そのお金で生き長らえるのだろうか。

人間は、本当に平等なのでしょうか?

今日の一枚:ドゥオーモ(ミラノ)



更新 3月24日 22:00


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