Kumsta kayo?(富山編)
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一方では自分の意志で命を絶つ者がいて、一方では生きたいのに生きることが出来ない。
生きることに希望をなくした人は、その命を人に譲るような余裕はないだろう。
臓器移植のように命が移植できるようになったとするならば、 そのために貧しい国では、子供が売られたりするのだろうか。 お金を持った命の亡者は、そのお金で生き長らえるのだろうか。
人間は、本当に平等なのでしょうか?
今日の一枚:ドゥオーモ(ミラノ)
更新 3月24日 22:00
halohalo
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いつのまにやら2万
多謝
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