LORANの日記
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今朝も富士海岸へ行きました。
彼方に釣り人が1人いただけの静かな海岸でした。
あいにく雲に切れ間が無くて、日の出の太陽を見ることはできませんでした。
しかし、瞑想を始めると、いつものように太陽の光を感じました。
今朝もまた、「光の存在」と会うことができました。
そして、大きな贈り物もいただくことができました。
今年に入って、変化が止まりません。
ここ1ヶ月間、とくにこの1週間の変化は、言葉では言い表せません。
人は自分の物差しでしか、相手を計ることはできません。
自分の物差しで計れない相手は、自分にとって不安の対象でしかありません。
こうして先人たちは抹殺されました。
イエス・キリストもまた、こうした人たちに殺されました。
しかしイエスの信者は、殺した人たちと同じ物差しを持つ人たちです。
殺したことによって、自分たちの信仰の対象にしたのです。
そして、殺すことを正当化するために、自分たちの罪を背負わせたのです。
いまでも、イエスは彼らの罪をあがなうために、磔にされたままなのです。
今朝、「光の存在」と会って、すべてが生命であり、祝福であることを感じました。
海岸に繁茂するこの植物の葉の生命力に驚きました。
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