LORANの日記
DiaryINDEXpastwill


2007年06月20日(水) 浜辺の植物





今朝も富士海岸へ行きました。

彼方に釣り人が1人いただけの静かな海岸でした。


あいにく雲に切れ間が無くて、日の出の太陽を見ることはできませんでした。

しかし、瞑想を始めると、いつものように太陽の光を感じました。


今朝もまた、「光の存在」と会うことができました。

そして、大きな贈り物もいただくことができました。


今年に入って、変化が止まりません。

ここ1ヶ月間、とくにこの1週間の変化は、言葉では言い表せません。


人は自分の物差しでしか、相手を計ることはできません。

自分の物差しで計れない相手は、自分にとって不安の対象でしかありません。


こうして先人たちは抹殺されました。

イエス・キリストもまた、こうした人たちに殺されました。


しかしイエスの信者は、殺した人たちと同じ物差しを持つ人たちです。

殺したことによって、自分たちの信仰の対象にしたのです。


そして、殺すことを正当化するために、自分たちの罪を背負わせたのです。

いまでも、イエスは彼らの罪をあがなうために、磔にされたままなのです。


今朝、「光の存在」と会って、すべてが生命であり、祝福であることを感じました。

海岸に繁茂するこの植物の葉の生命力に驚きました。


LORAN |MAILHomePage

My追加