LORANの日記
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瞑想というと、禅宗の禅を想像されるかたが多いでしょう。
瞑想にもいろいろありますが、禅宗の禅を素人にやれと言っても難しいでしょう。
「五蘊皆空」とか「身心脱落」とか「無」になれと言っても、瞑想専業の禅宗の僧侶でさえ何年もかかることを、素人がにわか瞑想でできるはずもありません。
しかし、見方を変えれば可能なこともあります。
LORANでは、「無」になることをやめてしまいました。
五感を持って生まれてきた人間が、それを否定してもうまくいきません。 禅宗の僧侶にお任せしましょう。
それよりも、いまあることを肯定してしまいましょう。
「すべてに仏性あり」と言うのですから、釈迦如来に近づかなくても自分がイメージしやすい存在に近づけばいいでしょう。
光、太陽、地球、宇宙、星、月、山、川、海、空、風、火、木、草、花、・・・。
「仏性=愛・歓び」と思います。
それなら、そのすべてに愛と歓びを見つけ、全面的に感謝してみましょう。
感謝することは、相手と一つになることです。
それができたら、「自分」はなくなります。
「宇宙」と一つになれたら、「自分」というちっぽけな存在など消えてしまいます。
「光」と一つになれたら、自分の中の感情など一瞬で蒸発してしまいます。
意識が変わるのも当然です。
私は、これも「悟り」だと思います。
すべての存在を認め、感謝し、自分のあるがままを受け入れられたら「悟り」と言えるでしょう。
座禅もせずに、椅子にかけたまま、居眠りしながら楽しんでいます。
それでなければ、瞑想を毎日続けることも、生きていることが瞑想であることもできるはずがありません。
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