LORANの日記
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2004年07月20日(火) |
三國 連太郎さんのことば |
出演映画は180本近いですかねぇ。5年周期で自分自身に疑問を持つんですよ。流されているのではないか、流された状態で芝居をしていたのでいいのかなあという疑問が出てくる。世間の評価におぼれてしまうと、自分の目が曇ってしまうんですね。悩んで悩んで、長い時には3年ぐらい遊んだりしてフラフラしながら何かに触発されて、また役者をやってというのを繰り返して……。気がついたら百七十何本になっていました。
(仕事の)選択の基準は……う〜ん、直感、ですか。単なる好奇心だけで見せるものであればやめた方がいい。非常に罪深いことになってしまう。こういうものを今までやったんだと、てらいもなく言える生涯にしたいという気はします。これは年のせいかもしれませんが。
僕は父親だという押し付けは一切しない。押し付けをしないことが親子という自覚の原点になって、いずれ自分に子供が出来たりしたら分かってくるんではないかと思うんです。一緒にメシを食う以外は会ったりもしません。向こうも何も言わないから、私も何も言わない。お互いに背中を見せ合った方がいいんじゃないですかね。自分で理解していく方式を取っております。
だから、恨むときは勝手に恨めばいいわけです。恨まれていいことも僕はやってきてますから、弁解しません。弁解すること自体が父親らしくないと思うんです。
大事なのは、自分の評価を崩せっていうことなんですよ。評価ばかり引きずっていてはダメだということです。人の評価なんてものはみんなインチキなんだ、と思いながらやっていった方がいいんじゃないか。そういうことを子供には言いにくいから孫あてにね、何とはなしに言っています。
今の映画は大事なものを無視しているという気がします。見せ物的な傾向が強くなってきた。合理的なアメリカ映画に浸潤されてしまって、ああいう映画以外は理解しにくいとか言うんですよ。
ある映画会社の役員がね、パーティーで僕に「君は難しい映画ばっかり作るから、日本映画がダメになるんだ」と言う。頭にきちゃって「ああいう責任者がいるからダメなんだ」と言った。それ以来、その人はチラッとも口を利いてくれませんけどね。
日本の人たちも、文化というのは自分の命と大きなかかわりを持っている、という重みを感じる時代が来ますよ。いずれ満足できるところに行き着くというか、原点に返らざるを得ない。だから、いいものは出来てくる。いい物を作れば観客も戻ってきますよ。
(毎日新聞 東京夕刊 原文のまま)
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