読書の秋ですね。 バルザックの書物に対する考察は、他のサイトで見ていただくとして 今日はルッカ的着目点からみた、バルザックの歴史を勉強してみましょう。
■1799年(0歳)■ 父親52歳、母20歳、掟破りな年齢の離れた親の下に フランス、トゥール市で生まれる。
■1813年(14歳)■ 読書のしすぎで昏睡状態になる。 1年間家族と休養する。
■1819年(20歳)■ 作家になるべく、悲劇「クロムウェル」執筆。 家族の前で読んだら非難轟轟、 作品の鑑定人に文学以外の道に進むように言われる。
■1822年(23歳)■ 22歳年上のベルニー夫人(45歳、9児の母(汗))と交際開始。
■1825年(26歳)■ 小説家稼業に行き詰まり、ベルニー夫人そのほかに 資金をだしてもらい(ヒモヒモ生活開始) 縮刷版全集を計画。
■1826年(27歳)■ 印刷所を始めるが失敗。
■1827年(28歳)■ 再びベルニー夫人の出資で活字鋳造会社をはじめるがまた失敗。 (いつ成功すんの?) 借金の嵐となる。
■1831年(31歳)■ 社交界で大暴れ。高級娼婦やカストリ公爵夫人(35歳)とやりたい放題。 (てか借金は?) 「あら皮」出版。はじめて注目を浴びる。 資産家の女性との結婚をたくらむが失敗。
■1832年(33歳)■ はじめて年下の女性、ハンスカ夫人(32歳)との文通始まる。 (ハンスカ夫人からいきなりファソレターが来たようだ)
■1833年(34歳)■ ハンスカ夫人とはじめて会い(ネット恋愛みたい・・・)、恋愛始まる。
■1834年(35歳)■ マリア・フレネィ(25歳)が女子を生む。 (てか今度は年下好み?ハンスカ夫人はどうしたっ?)
■1835年(36歳)■ 「ゴリオ爺さん」発表。
■1836年(37歳)■ 「谷間の百合」発表。 ヴィスコンティ伯爵夫人との間に男子誕生。 ヴィスコンティ伯爵の相続整理を託され、 男装のマルブティ夫人を甥と称してトリノに同行する。 (わけわかりません) パリに戻ると、債権者に追われの屋根裏部屋に潜む。 新聞連載小説『老嬢』執筆開始。 ((*ノノ) キャー 老嬢だってっ。)
■1839年(40歳)■ 家政婦兼愛人の「ブリュニョル夫人」と同棲開始。
■1842年(43歳)■ ハンスカ夫人の夫死去。 結婚を企てるが、今までの素行の悪さから周囲の反対で失敗。 (またハンスカ夫人に戻っていたんですね?)
■1844年(45歳)■ 体調が悪くなる。執筆は絶好調。
■1847年(48歳)■ ハンスカ夫人が家政婦兼愛人のブリュニョル夫人を首にする。 根にもったブリュニョル夫人に脅迫され泥仕合となる。 ハンスカ夫人宛に遺言書を作成。
■1850年(51歳)■ 3/14 ハンスカ夫人とついに結婚。 8/18 しかし、3ヵ月後死亡。。。。
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