あまいせいかつ

2004年11月28日(日) バルザック考察

読書の秋ですね。
バルザックの書物に対する考察は、他のサイトで見ていただくとして
今日はルッカ的着目点からみた、バルザックの歴史を勉強してみましょう。

■1799年(0歳)■
父親52歳、母20歳、掟破りな年齢の離れた親の下に
フランス、トゥール市で生まれる。

■1813年(14歳)■
読書のしすぎで昏睡状態になる。
1年間家族と休養する。

■1819年(20歳)■
作家になるべく、悲劇「クロムウェル」執筆。
家族の前で読んだら非難轟轟、
作品の鑑定人に文学以外の道に進むように言われる。

■1822年(23歳)■
22歳年上のベルニー夫人(45歳、9児の母(汗))と交際開始。

■1825年(26歳)■
小説家稼業に行き詰まり、ベルニー夫人そのほかに
資金をだしてもらい(ヒモヒモ生活開始)
縮刷版全集を計画。

■1826年(27歳)■
印刷所を始めるが失敗。

■1827年(28歳)■
再びベルニー夫人の出資で活字鋳造会社をはじめるがまた失敗。
(いつ成功すんの?)
借金の嵐となる。

■1831年(31歳)■
社交界で大暴れ。高級娼婦やカストリ公爵夫人(35歳)とやりたい放題。
(てか借金は?)
「あら皮」出版。はじめて注目を浴びる。
資産家の女性との結婚をたくらむが失敗。

■1832年(33歳)■
はじめて年下の女性、ハンスカ夫人(32歳)との文通始まる。
(ハンスカ夫人からいきなりファソレターが来たようだ)

■1833年(34歳)■
ハンスカ夫人とはじめて会い(ネット恋愛みたい・・・)、恋愛始まる。

■1834年(35歳)■
マリア・フレネィ(25歳)が女子を生む。
(てか今度は年下好み?ハンスカ夫人はどうしたっ?)

■1835年(36歳)■
「ゴリオ爺さん」発表。

■1836年(37歳)■
「谷間の百合」発表。
ヴィスコンティ伯爵夫人との間に男子誕生。
ヴィスコンティ伯爵の相続整理を託され、
男装のマルブティ夫人を甥と称してトリノに同行する。
(わけわかりません)
パリに戻ると、債権者に追われの屋根裏部屋に潜む。
新聞連載小説『老嬢』執筆開始。
((*ノノ) キャー 老嬢だってっ。)

■1839年(40歳)■
家政婦兼愛人の「ブリュニョル夫人」と同棲開始。

■1842年(43歳)■
ハンスカ夫人の夫死去。
結婚を企てるが、今までの素行の悪さから周囲の反対で失敗。
(またハンスカ夫人に戻っていたんですね?)

■1844年(45歳)■
体調が悪くなる。執筆は絶好調。

■1847年(48歳)■
ハンスカ夫人が家政婦兼愛人のブリュニョル夫人を首にする。
根にもったブリュニョル夫人に脅迫され泥仕合となる。
ハンスカ夫人宛に遺言書を作成。

■1850年(51歳)■
3/14 ハンスカ夫人とついに結婚。
8/18 しかし、3ヵ月後死亡。。。。


 < 過去  INDEX  未来 >


luca_luca [MAIL]