2004年05月28日(金) |
存在の耐えられない軽さ |
ウォン・カーウァイという監督は、作品を撮るのが遅い監督である。 今回、カンヌに出展された「2046」は5年の月日を費やしている 5年を費やしていても、主演のトニーレオンやマギーチャンは色褪せた感じがまったくしない。その待機間に、充実した仕事をしていたからである。 しかし、カンヌに並んだ出演者の中でとても色褪せた感のある人がひとりだけいた。 海外メディアでは名前の紹介もなかったキムタクである。 この映画には出るの出ないのでもめ、結局彼の出演時間はたった7分だそうだ。7分だけの出演でいいやと監督に思われた彼の存在は思い切り軽い。 カンヌで初めてこの作品をみてショックを受けただろう。 日本で試写を見ていたら、はたしてカンヌまで来ていただろうか? ウォン・カーウァイというブランドと名声に拘り、憧れたための失敗ではないかという意見もある。
正直いうと、アタシは最近のウォン・カーウァイの作品に期待をしていない。 アタシが好きなウォン・カーウァイの作品は主役がレスリー・チャンでなけらばならないのだ。 彼の映画でのレスリーは一貫して「心に茨がある少年」である。 笑っていても心の底が冷えているような、殺伐としたさびしんぼう。 そんなレスリーが大好きだったのに。 これからどんなに新しいウォン・カーウァイ作品が公開されても レスリーを見ることはもうできない。
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