まろやかな日々
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2005年09月25日(日) 9/25のメール

体調はどうですか?
台風、心配だね。海側だから怖いよね〜。
気を付けてね。無理に外に出たりしないように。

いよいよ、入院が決まり両親や職場に報告しはじめました。
私の父は、大したことなさそうに聞いていたけれど
そのあと口数が少なくなっちゃって、やっぱり驚いていたみたいだった。
職場では、必要最小限にしか話していなかったつもりだったけれど
そこから思いのほか広く話が伝わっていることが解って、複雑な気持ちになったんだ。
本当はこっそり、親にも言うことなく入院したいくらいだったから。

職場に報告した前日に、夫の家にも話に行ったの。
義父が出て、玄関先で軽く「わかった。お大事にね」って言われただけだった。
だから、軽く受け止めてもらえたんだと思っていたんだ。
なのに、すぐに話は義母から兄夫妻に伝わっていて「大丈夫?」ってメールが来た。
心配してくれてるって解っているけれど、惨めな気持ちで一杯になった。
どこかで苦労しているのかもしれないけれど
順調に見える人から優しい言葉をどんなに掛けてもらっても
素直に聞けそうもなかった。差を突き付けられている気がして。

夫が、私が傷ついたのを見て
「オオゴトにしたくないから、そっとしておいてほしい」と言ったことも
義母には、親族のいたわりを拒否していると受け取られてしまって
ますます話が大きくなってしまって。
結局、私が義母に何もかも話さないと収まらない状態だった。
義母に宛てて、遅い時間だったからメールだったけど
不妊に悩んでいたことや、手術に向けての決意などを書いた。
自分の醜い部分や惨めな気持ちを曝け出すことは
自分の情けなさを確認する作業だから、とても辛かったよ。
貴女が以前、ダンナさんのご両親に妊娠し難いことを伝えたコトを話してくれた
その時の話を思い出しながら頑張った。

幸い、母は私の気持ちをある程度解ってくれたの。
「『結婚→出産』が当然なんて全然思わない。
 今は2人で楽しむ時間を与えられていると思って、今出来ることを頑張りなさい」
って、返事が来たよ。
でも、自分の気持ちは本人しか解るはずないんだなって
再認識した出来事だった。
全てを理解することは出来ない
自分の経験した一番近い感情を探し出して、想像するのが精一杯なんだって。

それは、どんなことにもいえることで
貴女がこの前してくれた、障害者の話もそうだよね。
だからといって、伝える努力
伝わろうとする努力を怠ってはいけないんだよ。もちろん。
時には、伝えようとすることに疲れちゃうこともあるけどさ。
こうして、何度も往復する長文メールも
伝えあい、理解しあおうという気持ちの現われ。

子宮筋腫で死ぬことはまずないから、簡単な病気だって思われている。
それを前提に簡単に励ます人がいる。
でも、何度も泣いて
深く悩んで、今も不安に揺れながら出した結論に対して
軽い気持ちでコメントしてほしくないし
解りっこないんだから放っといてくれよって思っていた。
だから、親の言葉さえも素直に聞けない自分がいたの。
でも、その後
義父母が見せてくれた優しさに触れて、固く凝り固まっていたココロが
解された気がしたよ。
やっぱりそれも、伝え伝わろうとする気持ちがあればこそなのかな。
お互いにそう思えば、全てが伝わることはなくても
ココロのすぐ近くまで行くことが出来るんだね。

私のココロのすぐ側にあなたがいてくれること
ちゃんと解っているよ。いつもありがとう。



あの頃私は。。。
2004年09月25日(土) ありがとう
2003年09月25日(木) 決着
2002年09月25日(水) きぬ@締めきり

華泉 |MAIL
まろの気まぐれ日記
まろ様へ
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