2005年05月23日(月)カナリア 今日は色々と収穫のある日でした。 まず、昨日相方とした話から。 友達が少ないんだという話を 昨日相方にしたところ、 友達という存在に求めるものが大きすぎると言われた。 子供のころはみんな、 言ったら相手の人間性的な部分を好きなって友達になるわけだけれど、 大人になったらむしろ、 信頼関係的な友達になっていくという話。 悪く言えばギブ・アンド・テイクになるわけだけれども、 たとえば一緒に仕事をしたりとかすることによって、 その信頼関係の積み重なりが幼いころで言う友達的な存在になっていくという話。 でも、そういう関係じゃやっぱりしんどいところもあるから、 みんな中高時代のそういう関係じゃない友達を大切にしたり、 恋人という存在が必要だったりすると。 と、言っていた。 もちろん言うまでもなく相方は男だし、 友人っていう概念もうちとは少し違うのかもしれないけれど、 結構納得できた。 もし誰にでも心開いて何でも話せる友達がたくさんいたら、 そんなの恋人なんて要らなくなるよという話らしい。 なるほどな。 と、思って今日。 友達と話す機会があったから、 そういう話を相方としたんだ、と話した。 その流れで話したのが、 私の今までの友人関係の流れについて。 小学校のとき。 自分は本当にぼーっとした子で、 たとえばクラスの女の子同士でグループがあるとか、 そんな事には全く気づかなかったどころか、 自分が仲間はずれにされているという事実にすら、 しばらく気づかなかったような子だった。 それが、 中高一貫の女子校に入って、 女の子ばっかりのクラスに入って、 友人関係というものに関しては全くの無知だった私は、 荒波に揉まれた。 ちょっと凹んだ。 もういいや、って思った。 中2の時はなんやかや誘ってくれる友達がいたけど、 中3の時はなんかよくわからないぐだぐだになっていた。 中学三年間で学んだのは、 人間関係のしんどさだった。 それが、高校に入って、 クラスメイトに恵まれた。 荒んでいたうちを別に励ますわけでもなく、 適度な無関心で遠慮なく関わってくれた。 それに救われて、ようやく友達関係というものがわかってきた。 2年の時は、 そんないっぱいいっぱいの私の様子を見かねて、 1年の先生が好意的なクラス分けをしてくれた。 ようやく仲良く出来て、楽しくって。 いい一年だった。 3年では、 今度は知り合いのほとんどいないクラスで、 仕方ないので、友達と2人でつるんで薄い存在でいた。 友人関係もほとんど広がらなかったし、 広げる気もなかった。 そんな対人関係に関する経験が皆無に近い私が、 大学に入って友人を沢山作れるはずもなくて。 それどころか、高校のときに友人だと思っていた人が、 学部専攻が変わった所為でもうつながりが切れてしまったりとかして、 わからなくなったし、戸惑った。 それが一年かけて溜まり溜まって、 昨日相方に話したわけです。 友達という事に関して、 変にまじめに真剣に考えすぎだから、 身構えてしまって、ライン引いちゃうんじゃないかとも言われた。 それを、敏感に感じ取る人もいると思うと、今日も、言われた。 あーなんかわかんなくなってきちゃった。。。 つまり、今後の課題は、 深く考えすぎない事。 ライン引いちゃってたのはたぶん本当。 でも、昨日と今日とで大分納得できたし、自分の中で落ち着いたから、 もう大丈夫かな。きっとうまくいく、 そんな感じの一日でした。 |
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