| 2004年05月07日(金) |
落ち込んだりもしたけれど… |
落ち込んだりもしたけれど、私は元気です byジジ って猫かよ!! 名前違ぇよ!!キキだろ、キキ!! (爆笑問題風でお願いします)
みなさんこんにちは。 そんなこんなで小保は元気です。 5日の日記で心配をおかけしてしまったようで 本当にすみません。反省しています。 大丈夫です。 元気です。 いつもの発作です。 はしかみたいなものです。 免疫はできているし、覚悟もできているのですが やっぱり実際ぶつかっちゃってる最中はツライぞという話です。 すみませんでした。 削除しようかとも思いましたが 自分自身への戒めも含めてあえて残しました。 ごめんなさい。 大丈夫です。 今までと一緒です。 何一つ変わりません。 相変わらずの綱渡り人生。
生きるというのは本当に難しいことです。 よかれと思ったことがすべて良いように働くわけではない。 好意も優しさも簡単に踏みにじられる。 踏みにじるのは自分。 踏みにじられるのも自分。 状況によって相手によっていつでもいくらでも入れ替わる。 人は簡単に人を傷つけることができるし 簡単に傷つけられて自分の価値を見失う。 これでよかったのかなって 価値観を根底から覆されてどうしていいかわからなくなる。 なんて残酷で怖ろしい世の中だろうと思う。 でもそれが生きるということなのかもしれない。 これでよいのかと常に問い続けていくのが 生きるということなのかもしれない。
でもね、好意も優しさも そのときすぐには戻ってこなくても絶対に自分に返ってくると思う。 世の中は意地悪だけどバランスよくできていて ふと忘れた頃に全然違う方から救われたりする。 そういうものだと私は信じていたい。 情けは人の為ならず 昔の人はよくいったもので、本当に賢いなって思う。 わかってるなっていうか。悟ってるなって。 ふと我に返ると自分なんて なんて無力で価値のない存在だって思いがちだけど そんなことない。 好意や優しさでしか人は救われないと思う。 義経が800年もの間愛され続けてきたのはそういうことだと思う。 みんな誰かを信じたいんだよね。 好意も優しさも決して無駄じゃないこと。 それこそが人を動かす力になるのだと。
「自分に対しても思えるようになるのが課題かな」
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