| 2004年02月06日(金) |
「感じる」こと。義経への道。 |
そうかー。 そういうことだったのかー。 いっつもいっつも何かをくれてありがとう。 自分に自信がないとか。 誰かが持っていて自分が持っていないものをすっごい欲しいと思えないとか。 誰かがすごかったら私は「すごーい」って思って尊敬して終わっちゃうとか。 それは悔しいって思えなくて負けず嫌いじゃない感じで。 表現したい人としてそれはいけなくて。 貪欲でなくちゃいけなくて。 負けずにもっとうまくなりたい、欲しいって思えることが力で。 でも誰かと競争したりとかが基本的に好きじゃなくて。 でも義経に関してだけは譲れなくて。 宇宙で一番自分が義経を慕ってることだけは本気で。 「義経の人になりなさい」って先生にも言ってもらって。 自分でもそう思うのに動けないのは何でだろうと思ってて。 結局自分には何もないとか思ってて。 気持ちばっかりで何もできないで死ぬんだろうとか。 いつも不安ばっかりだとか。 もうもうもうもういろいろいろいろ思って。 なんかいろいろ自分がどうしてこうなのかを考えて。 いっつもそういう話をする人がいてくれます。 お互いに話したり聞いたり。 それがすっごく自然にじんわり頭に入ってきて。 またそういう話をしました。 たぶんその人と私は同じなのね。 選ぶ道も欲しいものも目指す場所も違うけど つまづく場所が似ているの。 そして性格も環境も生い立ちも何もかも全然違う感じなのに 言わなくてもなんとなく感じるのね。 直接会わなくても。 その出逢いは奇跡のようで。 たまに話して緊張と安堵をくれる人。 いつも踏み出すヒントをくれる人で大事なことを思い出させてくれる人。
私は考えるのでも想像するのでもなくて いつも感じているんだって。 そうやって指摘してくれてなんていうかすっごく「おお!」って思った。 自分は常に何かを考えて生きていると思ってて 自転車乗ってたり 道歩いてたり 一人でいるときには何か「考えてる」んだと思ってたんだけど それは勘違いだった。 私は「考える」のでなくて「感じて」いたようで。 道ですれ違う人とか、見える建物とか景色とか。 目に映る物とか聞こえる物とか。 全部残さず感じようとしてたんだ。 だからうまく自分の頭の中の気持ちとかを言えないし 理屈なんて理由なんてあるわけないんだ。 だって胸にどんってくるんだもん。 それでじーんとして気が付いたら涙出てたりして。 そういう感じ。 言葉なんかで伝わるはずない。 わかろうとしてくれてる気持ちと伝えようとする気持ち。 どっちも心の底から思ってるときだけ気持ちが伝わる。 たぶんそんな感じ。
自分には何もないって思ってたんだけど安心した。 ありがとう。 ありがとう。 私は音とか雰囲気とか色とか匂いとか全身で感じているんだ。 感じたそれがいっぱい重なってはっきりしたとき出てくる。 いろんな方法で。 私の武器は「感じる」ことなんだ。 それを自覚した。 だから昔のままでなくちゃいけなくて 感覚を研ぎすませなくちゃいけなくて 人に会って動いて新しいことに触れてなくちゃいけなくて 子供や動物ともちゃんとコミュニケーションできて。 言葉じゃない方法で伝えあってたんだ。 歯車のような仕事もやめたし研究者も違うと思ったんだ。 心を殺して作業することが私には向かないんだ。 性格とか選んだ道とか望む場所とかいろんな自分のすべてのものが 一瞬で全部繋がったような気がした。 本当に本当にありがとう。 いつも本当にありがとう。 いっぱい感謝してる。 それをうまく生かせるようにすればいいんだ。 右脳を磨いて感覚を研ぎ澄まして直感と本能で。 まだまだ先ははっきり見えないけど 踏み出す方向性が見えた気がした。 いつもいつもいつもホントにありがとう。
「焦らないで不安に思いすぎないでやっていこうって思った」
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