パイプオルガンリサイタル。
ちょっとだけ、もどかしい。 当たり前で理解したいたつもりの事柄が目の前に顕現したときの絶望に似ている。 自分がピアノを弾くから、猶の事感じるのだ。オルガンというものに対して。
音栓、もしくはストップと呼ばれるオルガン特有の螺子みたいなもの。これが、オルガンの音を曲ごとに変えてしまう。一曲終わるたびに音栓を一捻りすれば音が変わる。同じ鍵盤で、変化する音。あんなに歴史を持つ楽器なのに、何て機械的なのかしら。 音の強弱。自分の意思で、指先一本で音量を変えることの出来るピアノとは全く違う。一音を伸ばすにしても、次第に音が掻き消されていくピアノとは全く違う。楽器の構造が違う、なんていうことは解っているけれど。同じ鍵盤楽器とはいえ、音管に空気を送り込むオルガンと、ハンマーが弦を叩くピアノでは、違うの決まっているのだけれど。 ……なんか、とてももどかしい。
パイプオルガンは嫌いじゃないけれど。矢張り、私はピアノの方が好きみたい。オルガンは、もどかしい。音の強弱を指の感覚だけでは付けられないことも、音栓一つで音を変えてしまえることも。音を抜くという感覚が無いことも、弾き始める緊張感が感じられないところも。 間を持たせるべきところが、風船のような丸いものを削ぎ落とすように音が響いてしまうところも。 もどかしい。 私にとってはピアノが当たり前の楽器だったから、そう出来ないことがもどかしくて仕方が無い。なるほど「ピアノフォルテ」という楽器が発明された当時重宝されたのがよくわかる。
久々にラヴェルが聞きたくなった。バッハは、昨日まで聞いていたから。 私は、自分の指先で感情さえも込められるピアノを弾き続けよう。鍵盤楽器は他の持ち運びが出来る楽器と違って何時でも自分の愛し続けてきた楽器を弾けるわけではないけれど。私は、自分が十五年引き続けてきたアップライトを、生涯弾き続けよう。今日、パイプオルガンを聴いて感じたのは。私にとってのピアノは、文字で何かを表現する以上の表現方法かも知れない、ということだけ。 今年は練習する時間も無くて、毎日埃を拭き取るだけに留まっている私のアップライトだけれど。また、弾こう。誰に聴いてもらうわけでも無いけれど、私の表現方法のひとつであることには違いないのだから。
BGM:RAVEL(play : SAMSON FRANÇOIS) ・夜のガスパール より:水の精、絞首台、スカルボ ・ソナチネ より:モデレ、メヌエット、アニメ ・クープランの墓 より:プレリュード、フーガ、フォルラーヌ、リゴードン、メヌエット、トッカータ ・古風なメヌエット
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