長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2003年12月30日(火) 車内は思考には不適

 隙を見て書く。


 年の瀬に、私は考える。――私には、何が出来るだろう――と。

 年末で忙しいのは誰しも同じだと思う、そうして、私も亦其の忙しなさの中に呑み込まれて、買物へ行ったり家の掃除をしたりバタバタと過ごしている。そんな中でも、買物途中の移動手段である車内では何をするでもなくぼーっとしながら只坐って窓の外を眺めているだけ。日常の中の非日常。思考時間としては短過ぎるけれど、誰にも邪魔されない時間の一つであることも確か。

 日記というものを私が書き始めたのが小五の大晦日の夜だからかも知れないけれど、年末になると無意識に過去を振り返っている自分が居る。無意識か、意識的か、そんな判断のしようは無いけれど。最初は使わないノートに書き始めて、其れに書き切れなくなると次は奮発して鍵付きの日記帳なんぞ買って其れに日々の綴りを始めた。最初から、私は毎日毎日続けて書いていたわけではない。そういう意味では「日記」と言うより「週記」と読んだ方が的確なのかも知れないけれど。……縦令、週に一度しか書くことが無くてもずっと書き続けているのだから自分的には「スバラシキコト」。

 家族全員揃って、心理的には結構無理をしながら過ごす一週間。昨年までの日常であっても、今の日常ではない一週間。小さくも明らかな変化。


 明日で、怒涛の一年が終わる。
 そうして、怒涛の一年が再び始まる。










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