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はいはいはいはいいきたいいきたいいきたい!!!!!!!!! もう…金なんかどっかから搾り出すんだから本気で…!跡部が千石から搾り出すがごとく搾り出すんだから…!!!!!(下品)
こんばんは、草凪です。5限の授業中に不在着信があってね、この前の面接で結果は合否かかわらず必ず電話か手紙で連絡しますていうてたのね。ほんで東京とか大阪とかじゃなくてちゃんと横浜市の市外局番だったからね、残ってたのが。(登録してなかったの…)これはもしかしてもしかしたんじゃねーの!?ておもってかけてみたら、
Hに興味ある人はボタンを押してみてねv
リンリンか?え?リンリンハ@スか!?(横浜の人にしか通じ無いネタ) ブッコロだよね…鬱…。
あーもう早く結果を教えてくれよーーー!!
さて、下にある長文はわたしが書いたレポートです。こんなんなので勿論評価はBでした…★ わたしが一か八かの賭けに勝って手に入れたS評価のレポートも手元にあるんですが見たい人いるかな…(笑)相当な賭けだった。いい評価もらえるか悪い評価になるかがけっぷちだった。波長の合う先生でよかった… 見たい人は拍手とかしてみてください。(笑)
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自分の考え方について
自分のことについて語れ、という課題がわたしはもっとも苦手であるように思う。これまで自分が遭遇した事件を面白おかしく語れというのならいくらでも出来るが、自分の性格や自分の考え方について、などといわれると困ってしまう。なぜなら、自分のことをそこまでよく考えたことがないからだ。それに、自分が一番わからないのは自分自身のことではないか、とさえ考えているからである。
自分の考え方を述べるに当たって、まずは私の性格を把握しておかなければならないと思うので、自分が思う「自分像」を少し書いてみたいと思う。
まずわたしは極度の面倒くさがり屋である。散らかすのは好きだが片付けるのは大嫌いだ。というか、散らかった状態が好きだ。なので、母親が勝手にわたしの部屋を掃除したときなどは怒る。だがあまり散らかっていても集中できず困るので、適度に散らかっているくらいがいいらしい。
次に、わたしは意志が弱い。「やらなきゃ」と思っていてもずるずると先延ばしにしてしまい、結局大変な目にあう。しかも期限前の短期間、加えて「もうすぐ締め切り」という心理的圧迫もあるため大体完成度が低い。
また、私は外面がいいと思う。いわゆる二重人格なのかもしれない。この前も、大学で出来た友達と話していて、「自分の部屋に入ろうとして、ドアの横の壁にぶつかった」という話をしていたら、「すごい真面目なのに、うっかりしてるよね」と言われた。うっかりしていることは認めるけれども、わたしは真面目ではない。少なくとも他人にほめてもらえるほど真面目ではないと思う。授業中は寝てしまうこともあるし、つまらなくて授業中上の空なこともある。だが、傍目から見るとわたしは真面目であるらしい。高校のとき、担任の先生と三者面談で「あなたは学校では隙を見せないね」といわれ、後で家に帰って母と大笑いしたことがある。決してそのようなつもりはないのに、他人はわたしのどこを見ているのか判らない。わたしから見たわたしと他人から見たわたしは同一人物であるはずなのに、この差は一体なんなのだろうか。家では外での反動でだらけている、ということだろうか。わたしとしては何も変わらずにいるつもりなのだが。
客観的に判断して、わたしの性格はどのような表現をされるのかと、インターネットで性格診断をしてみた。 「周囲に対し、気を使ったりするのがうまいので誰とでも仲良くなるのかと思いきや、自分のプライベートな話をするのは意外に好きではなかったりして相手に不意にココロの壁を感じさせます。 べったり付き合う友達関係を好まずヒトに相談事をすることもあまりありません。」 いくつか抜粋してみた。 確かに、わたしは自分でも周囲に気を使いすぎていると思うこともある。そして、自分の話をするのが嫌だ。先ほどもいったように、面白おかしく「自分史」を話すのなら別だが、例えば恋愛の話だとか、悩みの話だとかをするとなると、途端にその場が苦痛で仕方なくなる。他の人の話を聞いているのならいいのだが、自分の話をするとなると「自分には他の人のように真剣に人を好きになった経験も、悩み事もない」と思うし、「何で自分のことを話さなければいけないのか」と思ってしまうこともある。
そしてわたしは深く考えることが苦手だ。「長所・短所を述べよ」といわれても、短所ばかりが目に付いて、長所などは浮かんでこない。他の人に「わたしの長所って何だと思う?」と聞いて、答えてもらっても、「そうかなあ…」と思ってしまう。だが結局「まあいいや」と適当なことを書いて提出する。
総合して、つまりわたしは「いい加減な人間」なのである。どうでもいい、がいつも決断する際のわりと多くの理由を占めているように思う。これがわたしの自分で思っている「自分像」である。
さて、自分の考え方についてだ。性格でも述べたとおりいい加減な性格をしているので、あまり真剣に物事を考えることはしない。考えたところで、何が変わるわけでもなし、と思ってしまう消極的な思考をしている。また、頑張ることをしないというか、もうひとつ上を目指すということもあまりしない。今時分がいる範囲、手の届く範囲内で満足してしまう。大学を選ぶときも、さかのぼれば高校を選んだときも、自分の学力で十分見合ったところで決めてしまった。先生や親などにもっと上の学校を、といわれたが勉強するのが面倒くさくてここでいいや、と我を通した。 つまり根っからの楽天家なのだ。与えられた環境と制度の中でそれなりに楽しく生活できていればいいなあと思っている。自分から切り口を見出そうとはしない。あまり外の世界に出ようとも思わない。
なんだかあまり人に大声で言えるようなことをひとつも書いていない気がするが、こんなわたしの性格にも、少しはとりえといえるところがある。それは物事を公正に見られるというところだ。たとえばディベートの時「Aの賛成意見を述べなさい」といわれれば賛成意見を述べられるし、「反対意見を述べなさい」といわれれば反対意見を言うことが出来る。物事を客観的に見られるということだ。
けれどこのそれが出来る理由は結局物事を「どうでもいい」と思っているからだとわたしは思う。自分に関係があることでも、ないことでも。わたしはとても人に流されやすい性格をしている。
このレポートを書くにあたって、講談社現代新書の伊東順康氏書「自己変革の心理学」という本を借りてみた。第4章の6節「10のイラショナルビリーフ」という箇所を読んで、とても自分の考え方と一致しているなあと思った。とくに「何もしないで『楽』をして暮らすことが出来るならそれに越したことはない」という部分は耳に痛い。今のわたしの状態はまさに『楽』の状態であると思う。レポートを書くのが大変だといいつつも、大学受験のときや、必修で多くの科目を勉強しなければならなかった高校時代と比べればはるかに楽である。何もしないで『楽』をしていることは生きる意味を見失っている状態だ。証拠にわたしは死んでもいいや、と思ったりする事が多々ある。
この状態を脱するには『生きがい』を見つけることが必要だ。『生きがい』つまり本当に為すべきことを決定し、それに向かって努力する。人間の生きがいとは、その人が毎日行う行動の積み重ねであり、どんな行動をするか常に問われている存在だと哲学者のB.Eフランクルは述べている。ごろごろと横になっているか、えいっと起き上がって掃除をするか。仕事を明日に延ばしてテレビを見るか、怠け心を振り切って仕事にかかるか。プラスの価値を持った行動を選択していって、その総和が生きがいにつながっていくのに、自分に当てはめてみれば、常に前者である。つまり、マイナスの行動ばかりしている。
今のところ自分のなすべきこと、目標はわたしにはない。完全に見失ってしまっている状態だ。将来なりたい職業を考えるのもいいが、とりあえず今は散らかった自分の部屋を片付けることからはじめたいと思う。『何かやらなければいけないこと』が常にあるというのは、わたしのような人間にとってはちょうどいい圧迫感になる。身近な目標からやり遂げていくのがわたしの性格にもあっていると思う。 このレポートを提出したからには、とりあえず夏休み明けには、わたしの部屋は綺麗な状態になっていることを目指そうと思う。今から少々気が重いが、自分を変える第1歩だと思ってがんばろうと思う。『楽』の状態から少しでも抜け出すのだ。
勿論部屋は片付くはずも無く、というかむしろパワーアップしました。
これねー草凪が去年(はい注目)書いたレポートなんだけどね、レポートと呼べないよね…少しずつ論点がずれていくよ…なんだこりゃ…。切羽詰るとこういう文章を書くのです。そしてこんな日記ばっかりかいているからまじめな文章がかけないのです。エッセイ向きの人間。 このみにも納得されたよ…この日記読んでさ…。
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あ、レポート昨日ちゃんと書いたよ!えらい草凪さん…!これで漢検に集中できますね!
ラブラブな絵って…どんなのがラブラブっていうの…? わたし…ぶっちゃけそんな絵描いたこと無いからわからないんだよね…。 ちゅっちゅしてんのは間違いなくラブだよね。無理。(却下) いちゃこいてるの描けばいいのか… 最近一画面に2人も入れるのとか本気で無理なんですよね…色塗りめんd(ry
2004年05月13日(木)
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