「ロダンとカリエール」/「江戸の誘惑」/江戸と地方 - 2006年05月26日(金) 感想を書いていなかった展覧会2つについて。 ▼「江戸の誘惑」展(神戸市立博物館) 神戸市立博物館は、何回か行っているが、またもやコミコミ。集客力があるものばっかりやっているのか、神戸三ノ宮だから人が集まるのか。。 私より先に行った友人は、黒山の人だかりをかき分けてしっかり見たそうだが、そこまで割り込むエネルギーがなく、動かない人だかりのところはパスしてしまった(><) 食わず嫌いしがちだった江戸の浮世絵、着物のデザインなど斬新で、人が何人も出てくる町中の絵などは、もっとゆっくり見たかったなあ。。 このコレクションを蒐集したビゲロー氏というのが、またお金持ちの道楽ができた凄い人で、 ハーバードを卒業して外科医になり、さらに有名なパリのパスツール先生のもとにも留学したのだが、医者に興味が持てず、日本に来て美術品を買い集めたという。大量のコレクションは、ボストン美術館に寄贈されるのだが、90年ほど眠ったままだったという。。。 あと、北斎の90歳で亡くなるまでの熱い創作意欲は圧巻。李白観瀑図なんて、滝を描く墨の線がモダンアートに見えるし、76歳の時の孔雀が描かれている枕屏風なんて、デザインも迫力もステキ。尾形光琳の屏風絵に並ぶ、まさに江戸の名品だと。 いやあ、眼福でござった。 ▼「ロダンとカリエール」展(国立西洋美術館) 父の出張に合わせて妹の猫屋敷チェックにいった時、妹と。 ロダンとカリエールの類似点に驚く。丁寧に作ってある展覧会であるが、説明がもうちょっと欲しい(活字で鑑賞をさまたげないように、という配慮かもしれないが)。 上野だが、快適に観賞できるくらいに、空いている(観賞する上ではとても有り難いことだが)。 上野は、都立美術館の「プラド美術館展」、さらには隣の「世界遺産 ナスカ展-地上絵の創造者たち」あたりも行列、だが、ロダンは彫刻ということ、また、カリエールは日本では有名ではないことが程よく空いている理由として考えられると思う。 もう少し、展示でもカリエールについて説明が欲しい。恥ずかしながら、私自身、カリエールは知らなかった。いや、絵を見て、「そういえば、この人が書いたことがある絵を、見たことはあるなあ」と思い出した程度である。 タイトルも、「ロダンとカリエール」が副題で、「フランス象徴主義」とすれば、一般に分かりやすかったかもしれない。 ま、この「象徴主義」にさらに説明が必要だと思うが。。(印象派と違って。。) 久々に、常設展を見て、良かった。古いフランドルの板絵、いいですねえ。あと、ジョルジュ・ラトゥ−ルのものとされる「聖トマス」、あまり私にはラトゥ−ルっぽく見えないんだが。。剥落が激しいせい? (ちなみに、動機の半分は、あとはパリ・オルセ−まで行かないと見れない!いっちゃう?質が高いに違いない!というものでした。。f^_^;) ++ さて、江戸、ならぬ東京は、仕事をしたことはないためだろうが、過密ではあるが、楽しげな巨大都市に思える。とりあえず、刺激はなんでもあるように感じられる。 また、都市の便利さは私も好きで、地方の活性化を!といいながら京都から離れられない(京都が大都市か?という問題はさておき、関西圏はすくなくとも大都市圏である)。取りあえず、都市の中では、電車やバスにのってどこでもいけるし、得られる刺激は多いので、移動も、物質的な物事の獲得も、全能感を得られやすい。ゆえに私自身、言っていることと行動が矛盾している点は認める(実際に狭い社会に住むと、これまた非常に息苦しいのである)。 しかし、大都市の一人勝ち、というのは個人的には問題があると思うので、小泉首相あたりには、首都、いや、国会開催場を47都道府県持ち回りにして、1年でも半年でも過疎地居住体験でもして頂きたいくらいである。 先日までの朝日新聞の連載特集「しまなみ海道」でも、橋がかかった尾道や今治、途中の島々が経済的に地盤沈下しているのに対して、地方でも松山のようなある程度の規模以上の都市はまだ元気だ、と、大都市の一人勝ちと地域社会の弱体化ぶりが描かれていた。 「パリ症候群」で花の都パリ、という幻想に群がる人々がいるように、 大都市には人が集まる。まさしく「江戸の誘惑」である(展覧会の趣旨は「江戸時代」の江戸だが、都市としての江戸=東京も明治以降、地震と戦争の時を覗いて、常に誘惑する存在ではないだろうか。 地方の衰退ぶりについては、稿を改めたい。 -
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