佐世保小六事件に思う - 2005年05月31日(火) 佐世保の小六事件の被害者の女児の父親が手記を発表した。 同級生の児童を殺害するなど、決してやってはならないことだし、 娘をなくした父の気持ちがいかに辛いものか、察するに余りある。 しかし、同時に、ある種の違和感を感じてしまうのだ。 石を投げられるかもしれないような違和感だけれど。 つまり、自分の娘を愛おしむがために(すくなくとも光しか当ててないように思う)、娘にもダークサイドがあったのではないか、そのように省察する眼差し(決して、被害者父親が謝る必要があるとか、ましてや被害者が悪だとかいうつもりでいうのではない)が父親の手記などからは欠落している。 もちろん、父親だけが欠落しているというのではなく、この事件に関する論調一般に、加害者が追い詰められていく過程への視点が欠落しているのではないだろうか。 同級生に追い詰められたからといって、追い詰めた子を殺していいということには決して決してならない。ただ、追い詰められるまでの過程にも、ていねいに視線を降り注がなければ、この事件から十分な教訓を得られたとはいい難いのではないだろうか。 -
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