患者中傷の医師ウェブ日記 / 我が人生を恥づ - 2005年01月14日(金) ネットでニュースを読んでいたらこんな記事が。 ▼医師がHPで患者中傷 「頭悪い、二度と来るな」 自分のホームページの日記に患者に対していろいろ書いていたのだと言う。 まあ、これが紙の日記なら問題にならなかった訳で(直接間じゃさんに向ッて同じことを言っていたらそれは問題だが)、守秘義務があるのにネットに書いてしまったところが問題なのだろう。 私もホームページはほぼ日記ページだから、気を付けなきゃ、と思った。誰かと何かを共有したいだけではあるのだけれど。 それでも人気があるブログとか、良質なブログと言うものがあるのであろうから(いや、あると言い切っていいのだが、私がそういう良質なブログをこまめにチェックしようとしていないので、曖昧な語尾になるのである)、ウェブに所感を書くこと自体が悪い訳ではないのだが。 ++ ところで、年賀状、全般に嬉しい知らせが多かった。本採用になったダとか、就職できたとか、念願の資格を取れて転職できたとか(その他、妊娠出産結婚予定もあったような。。)。 で。年始年末ぼんやり実家で自分のことを振り返ったりしていたのもあるのだが、年賀状を見て、やはり努力はするものだ、と当たり前ながら感心すると同時に恥ずかしくなったことがある。 つまり、転身をして、希望の就職をした友人に対して、心から嬉しく感じた。 同時に、同じ時間(年数が経っているという意味で)過ごしているこちらは何をしているのだろうと。 私は、いつもその時その時一生懸命ではあった。しかし、この首尾一貫性のなさ、いや、首尾一貫していなくても以前の経験や人脈が生きていますといえればよいのだが、それも怪し気で、ただ、もがいてばかりいる。 ++ 先日、成人の日にMLで自分を振り返っておられる方に触発されて我が身を振り返ったのは、こういうことだ。 二十歳で一律成人式というのにはなはだ違和感を感じる「子ども」(ホント子どもでした)だったので, 成人式に出たいとも振袖を着たいともつゆ思わず,大学の試験期間中を淡々とすごした。むしろ,当時振袖が着たいなあと思っている方がその後の私ももっと素直に人生が歩めたかもしれない。汗。 最初入学した大学では先のことも漠然としか考えないまま大学院に進学(就職活動をしていた同級生から見てもはなはだのほほ〜んとしていたことだろう)。ちょうど大学院拡充のころで,入りやすくなっていたのもあっただろう。 研究者になるんだという漠然とした呪縛にとらわれつつ,どうも文学部の鬱屈した院生生活は合わないと当時流行のNGOもしくは国際機関に就職しようともがきつついたところに火事に遭い,下宿が全焼(修士2年生の5月末)。 その後3ヶ月ほど知人宅にてお世話になり,とある小さなNGOの内定もいただいたが,秋になって,もう修士論文を書く余力が残っていまなかった。留年することをさっさと決めてしまい,鬱々とすごした。かろうじて留年しながら教員免許を取り,大学院の最後の一年は某出版社にて編集をしながら何とか修士課程を修了。このとき教員の採用試験を夏から年明けの1月まで受けていたのですが,ことごとくダメで,当時, 本当に視野が狭かったとしか思えないが,「人相手の仕事がしたい。悩める人の手助けをしたい。」「文学部では食べていけない」などと思い,教員採用試験がダメだったら医学部を再受験しようなどと心に決めた(友人の影響や,なぜか当時6年分の学費以上の貯金があったりしたことも後押した)。3月,再受験の勉強を始めたところに教員のお話をいただき,このまま学生を続けるよりは,と高校で働き始めた。 次の年はフリースクールで非常勤をしながら医学部を受験し,入学,折り返し地点の今に至る。医学部に入ってからは,まあ勤労学生状態(受験期もか)。といっても,自分のキャリアになるようなことは昨年度実験助手をしたくらいで(それも諸般の事情から中途半端になってしまい),あとは時間を切り売りしているわけだ。 う〜〜〜ン。 何をしているんだかねえ。 生涯賃金でいえば教員をずっと続けている方が高い、と受験勉強をしていた頃に言われた。 確かにそうなのだろう。 しかし、まだ若気の至りに満ちていた私は、理由がどうであれ、強行突破するかのように退職していたと思う。 もがいてもがいて、50歳頃に思うような仕事をして思うような仕事ができる地位につけたら、いいのかもしれない。 ともあれ、この年頭は、深く自分の反省を恥じた. それが、今現在からの逃げなのか、 それとも前向きな振り返りなのか、 答えは未来に尋ねるしかない。 -
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