奈良 ・ ヨーロッパピクニック - 2003年08月21日(木) 今日は実験のない日だった。 たまたま、妹が父の出張について奈良に来るとのことだったので、近鉄奈良駅で落ち合い、午前2時間ばかり一緒に観光した。 学生時代は、正確には文学部の学生時代は、良く奈良に来たものである。古寺巡礼であったり、ハイキングであったり、遺跡の発掘であったりしたが、ともあれ少々懐かしい気分になった。 駅前から春日大社の方に向けて歩き始めて、すぐ右手に興福寺がある。そこの境内で、ここの鹿は太っている、オスばっかりだと妹と言っていたところに、ボランティアガイド(?)のオジサマが現れ、いろいろ知識を面白く疲労してくださった。建物の屋根の傾斜は雨だけではなく雪のことも考えて湿気をさけるようにできているなど。本当はもっとお聞きしたかったが、一時間近くはなしを聞いているうちに方に荷物が食い込み、失礼して春日大社へ。 久々の奈良は、京都よりも時代が遡る分、解読に頭を使い、知的にわくわくする。またふらっと行こうかな。 ++ 今日の未明、NHKで「ヨーロッパピクニック」についてのドキュメンタリー番組を放映していた。東西ヨーロッパの間にかつて存在していた「鉄の壁」は、出国の自由を保証する精霊の施行時間を待切れなくなった東ベルリン市民がベルリンの壁を壊し始めたところから始まったというのが一般の理解のように思うが、実はそうではなく、ハンガリー政府が西側に戻る事を決意し(ゴルバチョフもペレストロイカを押し進めながら、これ以上ソ連が「東側」を支える事はできないから諸国の自立を望み、東西ドイツは必ず統一されると信じていた事が背景にあり)、鉄の壁を自主撤去した事、さらに、「ヨーロッパピクニック」なる行事を周到に用意し、ハンガリーに大挙して来た東ドイツの市民を1000人ほど出国させ、さらにそのあと西ドイツに西ドイツ市民としてのパスポートを用意してもらい、7万人のパスポートを発行してもらい、東ドイツの市民を続く数カ月で西側に出国させた事。。 知らなかった。 ハンガリーという超大国ではないから小回りがきいた事、そして、時代の流れを明確に読み取れる政治家達に恵まれた事、そしてなによりも、ヨーロッパの外交の腕の深さだろうか。 果たして、そこまでの政治家に我々は現在恵まれているのだろうか。船をただやみくもに走らせてはいないだろうか。 -
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