Wakako's Diary 道すがら記

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本2冊:丈夫な体と優しい心 / わたしの中の依存症 - 2003年03月08日(土)

ぼちぼち、ネットオークションにいらないものを出品している。本やビデオをアマゾンのマーケットプレイスに出品するのはわりと簡単だが、服や雑貨と言うのは、そのような定型がないものである。デジカメで写真をとって、服なら改めて採寸して、説明の言葉をつけて。。。手間ひまかかるけど、ぼちぼち出品していこう。

また、ボタンが外れたら糸と針を使って直すこと以上の裁縫を、ひさしぶりにしている。とはいっても、大したことはない、サイズのお直しだ。スカートのサイズで合うサイズのものは売れていて、好きな色がひとまわり大きいものしか残ってなかったら、フレアスカートなら割合簡単にお直しできる。
その他、100円ショップで裾あげテープを買って来たので、パンツの丈も直す予定。

++

天気は、冷たいみぞれみたいな雨が時々降った。傘のない雨の中を、自転車で郵便局まで行く。ふと、谷山浩子の歌に、「冷たい水の中を君と歩いていく」というのがあった、と思い出す。

家庭教師2件。行き帰り、久しぶりに、テスト資料ではなく、文庫本を読んだ。
一件目の行きは、南木圭士の「医者という仕事」(朝日文芸文庫)。これはわたしが貸した本が久しぶりに返って来たのか、それとも貸してもらっているのか判然としない。というのも、貸してもらっていると思っていたが、ページを繰るにつれ、読んだ覚えがふつふつと蘇って来たからだった。

以前読んだ時には、心に残らなかったのだが、冒頭、医者という仕事には、優しい心、丈夫な体、そして程々の頭が必要だ、という丸谷才一氏のエッセーに共感する作者の言葉があった。
末期肺癌患者と向き合う中で、自らも心を病んでしまい、小説を書くということでバランスを取るようになった作者の言葉は、おそらく医師の大勢の見解を示さないではあろうが、小説を書くことで視線を低くすることができている、病を得ている人に寄り添おうと思えば、視線を低めることだ、とあり、我が意を強くした。
もちろん、気持ちだの優しさだのは、適格な医療技術や診断能力とは全く別のカテゴリーである。
が、優しさが求められる場もあるのではないだろうか?

次、一旦家に戻りたかったのだが、JRのダイヤが乱れており、戻る代わりに本屋を覗いた。
たまたま、「ひとりになれない女たち:買い物依存、電話・恋愛にのめりこむ心理」という本が目に止まった。依然にも気にかかっていたような気がして・・レディコミの研究書を出していたからだ、と今気づいた・・、わたしはその本を手に取り、そして、読むことに決め、本を買って外に出た。

バイトへの依存、食べることへの依存、交友関係の依存、、、誰でもいくらかはなる可能性を秘めているだろうし、私自身、病的とは言えないまでも、それぞれ思い当たる過去の経験はある。
そして、今は、買い物。

筆者の言葉を引用すると、
「 衝動買いの経験は、誰にでもあると思う。でも、今度あなたが衝動買いした時、胸に手を当てて考えてほしい。「欲しいものを手に入れた」という満足感があるかどうか。支払った金額に見合う愛着を、そのものに感じるか。「またバカな買い物をした」と暗い気持ちになってはいないか。
「楽しいお買い物」と「買い物依存症」との距離は、あなたが考えている以上にずっと近いのである。」(p.39)

筆者がかつてそうだったように、私も綺麗なファッションビルや雑貨屋さん、そして百貨店を覗くと元気になる。そして、何となく散漫に買い物をしてしまうことがよくある。心の中で「子どもでもいたらこんなふうに自分のためにお金遣わないのにね」と思いながら。

それを自分のための優雅さと取るか。それとも、無駄遣いと取るか。

微妙なところである。日記の注意深い読者の皆さんはお気付きの通り、生活費が、学費が、などといっている割に、私はしょっちゅう買い物をしていて、それをもちろん、楽しんでもいて、日記にも書いている。
買い物への推進力は、これは私が自分で稼いだお金、自分のために遣う、であり、そして、過去を振り返れば、小さい頃、同級生に比べ、拘束が厳しかった我が家では自由にモノを買うことが出来なかった、それを補償すべく、好きなものを好きなように買い揃える快感を味わっているのでもあろう。
そして、ローン地獄やカード地獄に今のところ幸いにして落ちないで済んでいる、買い過ぎないためのストッパーは、ガクセイであるがゆえに、自由にできる額が限られることである(例えば、価値観や行動パターンにもよるが、社会人の友人で、今も母校の大学の学生食堂をこよなく愛用している人がいる(わざわざバスに乗って食べに来るくらいだ)。海外旅行も実質本位、盗まれても良さそうなものしか持っていかない。さすがに安全面に不安があるので、激安宿には泊まらないが、値段に見合ったお金の使い方しかしない。。そのような身の回りのことに関しては、彼女と私は金銭感覚も近い。が、やはり、可処分所得には大きな差があり、彼女が欲しがって、実際に買おうかどうか迷うアンティークショップの7万円の家具や、10数万するペルシャじゅうたんを買おうかどうかと私は悶々とはしない。それは私にとっては入手不可能な次元と位置付けられているからである)。

際どいところだと思う。
買い物で楽しく元気になっている、そして、身の回りに気に入ったものがあるのは嬉しいことである。が、不要品を同時にせっせとオークションに出す、どこか、刹那的である。要るか要らないか、もう少し考えた方がいいのではないか、と。

誰もが依存症になりやすい時代、筆者はそういう。
本の後半をまだちゃんと読んでいないので、今日はここまで、また後日取り上げる。


部屋の隅に、服がビニール袋をかぶったまま積み重ねてある。今日、ネットのセレクトショップサイトに注文して届いた商品だ。イギリス製のブラウスとか、鍵編ニットだとか、イメージ通りのものもあり、あれ?というのもあり、一度ずつ手にとってみたあと、そのまま積み重ねられている。
あれ?という商品は、返品しようかどうか、今暫く、考え倦ねている。
ま、月曜日までに決めよう。必要かどうかという基準で。






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