サポート - 2003年02月23日(日) ウーン、意外だ。。今っぽい。 ++ ゆっくり朝寝して(というより、昨日学校から帰ってから暫く休憩したのち、ぶっ倒れるように寝てて)起きて、荷物を受け取って(この頃、母から頻繁に荷物が届く。有り難いことでございますm(__)m)、ちょっと消化器の勉強して、友人と岡崎の近代美術館の「ウィーン美術館展」を見に行った。結構な作品が出ていたが、サラッと30分で見た。じっくり見る程今集中力がないのかな。。そこそこ人がいたのもあったし。 ++ 2月、医学の専門課程を半年終えてみて、いろいろ思うことがある。ひとつは、今まで、さんざん、迷う度に辞めようかなどと弱音とも意志薄弱とも言える言葉をこぼして来た。が、先日立続けに教官の部屋に行って話したことで、もうモラトリアムでなく、しっかりと医療従事者の卵と見られる教育課程にいるのだ、引き返せない、ある地点を過ぎたのだ(現実問題には引き返せるのではあるけれど)と実感している。そう、解剖も終わっていたのだもの。 ++ 他人の個人的なことを書くのは、本来どうかと思うのだが、、残念に思っていることがある。12月ごろまで、再試状況が私と似たようなものだった同級生がいた。一緒に勉強したりしてがんばったこともあった。体がどうしてもついて来なかったのだろうか、実習、ついで試験に、来なくなった(来れなかったのだろう)。まだ、進級問題は本決まりではないだろうけど、もう一年やる方向に気持ちが傾いていると、メールを貰った。一緒にがんばりたかった。その日は、力が抜けて、勉強が身に入らなかった(精神的に弱いね、私も)。 学校側は、本人のために、モニターやノートテイクのサポートを始めようとしていた。3年生の授業の受け入れ体制も準備されつつあった。 真面目な人だから、キチンと一からやり直そうと思ったのだろう。 とれる単位はとってしまって楽することもできるが、 そして、それはそれで有意義だと思う、休息を取り充電すると言う意味も含めて。 ただ一つ、忘れてはならないことがある(自戒を含めて)。留年しても、それは先延ばし(時間の猶予)でしかなく、することが減ったり変わったりする訳ではない、ということである。 私は、以前の文学研究科時代、早々に修士論文を書くことを放棄して、留年を決め込んでしまった。その時は楽になりたくて解放されたかった、暫く休みたかった、そういう気持ちが全面に出ていて、いずれ書かねばならない(修士課程を終えようとする限り)ことを先延ばししている、それを忘れていた。 もちろん、楽しんで論文がかければ一番良かったのだが。 そんなわけで、サポートが後手に回ってしまったことが残念でならない。 本来、サポートは、授業を理解することは、享受していい権利だから。 -
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