ステージメイク - 2005年07月18日(月) YOSHII LOVINSONツアー最終日の翌日、読売やスポニチの紙面の見出しは、 「YOSHII LOVINSON来年改名」「YOSHII 突然の改名宣言」等、 ZEPP東京最終日にYOSHIIが発した「YOSHII LOVINSONは今年で終わり。 来年からは新しい名前で。」という発言が大きく取り上げられていた。 ライブハウスでのスタンディングLIVEという初LIVEツアーが 各会場大盛況&大興奮を巻き起こし、無事最終公演の幕を閉じた、という事よりも 「改名宣言」の方が見出しになるのか、と少し不思議な感じがした。 「YOSHII LOVINSON」やめて吉井和哉に為る事がそんなにおおごとなのだろうか? 「新しい名前を考え中です」とわざわざ言うくらいだから、 吉井和哉のバンドプロジェクト名が「○○○」とか全く新しい名称を 考えてるかも知れないけど。 私は、名前がどうこうよりも、7月4日と5日のZEPP東京で吉井が全くの ノーメイクでステージに立った事の方が重要な意味を持つと思う。 スポニチに載った「ソロライブツアー・ファイナルを向かえ、 熱唱するYOSHII LOVINSON」の画像は、何の飾りも無い丸ごとの素顔の吉井和哉だ。 ドーランも眉もアイメイクも何もない、まるで泣き出しそうにさえ見える熱唱ぶりだ。 7/16土曜に放送されたCDTV夏祭りでの97年夏「BURN」を歌う THE YELLOW MONKEYの映像とは別人だ。TVの中の吉井は、ROCK STARを絵に描いたような 長髪・美麗・妖艶なヴォーカリストそのものに見えた。 「Mステ」「POPJAM」「HEY!HEY!HEY!」「うたばん」など、活動休止直前まで THE YELLOW MONKEYは沢山のTV番組に出演したけれど、トークの場面では 吉井本来の茶目っ気やサービス精神からギャグやら何やら非常に盛り上げていたし、 歌うシーンでは勿論彼等の魅力を存分に見せようと、 相当「装って」いたのではないかと、今となれば感じる。 THE YELLOW MONKEY晩期は、逆に言えば濃い化粧を施さなければ、 ステージには立てなかったのじゃないかとさえ思って仕舞う。 煌びやかな衣装を脱ぎ、そして全くのすっぴんでステージに臨んだ 7月4日と5日の吉井の心境はどんなものだったのだろう? 7月4日、私の目に焼きついた吉井は、汗だくで「SIDE BY SIDE」の “無理に笑うのよせ”で両手で口を横に引っ張ってみせた顔だ。 アンコール「トブヨウニ」で漸く目の前にやって来た時の顔だ。 歌う事の使命を引き受けた顔だった。 2001年1月4日大阪ドーム「メロメ」での近さよりも今回は、 もっと間近で吉井を見た。4年半の歳月、吉井はそれだけの年数を経たけれど、 身体の鍛錬の所為か、また内面から漲るモノの所為か、輝きは増していたように思う。 「この人の生き様を見ていたい」そう決めてからもう随分経つ。 これからもLIVEへ参加出来るよう私も自己管理に気を配る所存ですので、 吉井さんも末永く歌い続けられるよう、身体に気を付けて下さい。 40間近で「撃沈」は、どうか止めてね♪
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