妖怪人間ベム - 2005年02月14日(月) YOSHII LOVINSONのコラムが更新されていて、前回の公約通り 「妖怪人間ベム」が取り上げられていた。 「妖怪人間ベム」は、何年か前にTVで再放送されているのを見た。 絵がおどろおどろしくて、何よりベロが人間の子供達と仲良くなっても、 彼らを助けようとその醜い妖怪の姿を晒すと結局「化け物!」と 忌み嫌われて仕舞う。「人間になりたい!」という叫びが凄く悲しくて、 それでも気になって見て仕舞うアニメだった。 YOSHIIは『人間が妖怪に向かって汚い言葉を吐き、 毅然とした態度で挑む妖怪とのコントラストが、このアニメの魅力だったのだ』と 書いているけれど、正にその通りだ。 ベム・ベラ・ベロの3人は、最終回で人間になるチャンスがあった。 けれど彼らが人間の姿を得るという行為は、誰かの命を奪う事に他ならなかった訳で、 「人間になる」事そのものが、彼らが望んだ「人間らしさ」とは程遠い 「人の姿をした化け物」に為る事だった。 「CALL ME」で歌われる “人間的”とは何かな? 答えの数が世の中の形 のフレーズが浮かぶ。 ベム・ベラ・ベロは、人間達の放った火の中で焼かれ消えて行った。 あの最後の場面を見た時は、何とも救いようのない結末に とても後味の悪い思いをしたけれど、今改めて思い返してみれば、 人間以上に人間らしい正義と愛の心を持った妖怪達の 「人間になりたい」というあの叫びは、 「人間とはいかに生きるべきか」という大きなテーマだったのだと思う。 このアニメが「差別用語」の為に今TVで見る事が出来ないというのは、 凄く惜しい。今の子供達がこの物語をどう受け止めるか、とても興味がある。 妖怪の変身後の姿がグロテスクで、人間の妖怪達への差別や迫害は、 とても残酷だったけれど、それでも物語の本質は、 今の子達にもちゃんと伝わるのではないかな。 今回のYOSHIIのコラムの最後の言葉『早く妖怪になりたい。』は、 とても刺さる言葉だった。 コラムの前半でYOSHIIは、「CALL ME」を作った時 『自分自身を殺したかったのだ。』と書いている。 『中途半端な状態の自分を殺してしまいたかった。 ・・・人を救う歌など、自分自身を殺してからだ。』 『死』『殺す』という言葉を使わなければ為らないほどに、 YOSHIIは追い詰められていたのかと思うと、辛い。 でもYOSHII LOVINSONの言葉は、真っ直ぐに伝わって来るよ。 偽りの言葉じゃない、本物が持つ力強い言葉だ。 上手く爆発出来て良かったね!
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