ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

いちじくが象徴するもの - 2004年01月24日(土)

「SWEET CANDY RAIN」PVにおいて何故いちじくなのか、
ずっと考えている。
いちじくは、とても傷みやすい果物である。
熟し腐る・・・私は、欲望とかエゴとか言うなれば“罪”の
ニュアンスを感じる。
聖書の中でイエスが、本来祈りの家であるべき神殿を
強盗の巣にしてしまったイスラエルを裁いた神殿粛清裁きの象徴として、
「いちじくの木を呪い」そしてイエス殺害が決定された翌朝に、
いちじくの呪いの成就が確認されたと記されている。
神への真実な畏れと敬虔な信仰を忘れ、強欲と肉欲が渦巻く醜いエゴに
染まったエルサレムの民を腐って食べられない「悪いいちじく」だと
喩えている。
イエスは説く。「心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると
信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。
祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、
そのとおりになります。また立って祈っているとき、だれかに対して
恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられる
あなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」と。
私は、キリスト教徒ではない。
けれど、祈りが真実に力ある祈りになる為に重要なのは、
「信じる」事と「赦す」事であるという事は、真理だと思う。
葉ばかりを茂らせて、あれは駄目、これも駄目
こうせねばならないという事ばかりで、
人を生かす内実が皆無な空虚な繁栄そういう象徴として、
この悪いいちじくを登場させているのではないだろうか。
良いいちじくとは、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制に満ちている事だ。
「フラニー/ズーイー」の中で、フラニーが「南無阿弥陀仏」と唱える
仏教の念仏門の人達の話を語る場面があるが、
ゴータマ・シッタルダがが悟りを開いたのは、アシュバッタの樹の下での事で、
「目覚めた人」「悟りを得た人」の意である「仏陀」と、
アシュバッタの樹を「悟りを提供した樹=菩提樹」と呼ばれるようになった。
このアシュバッタの樹は、インドイチヂクと呼ばれるいちじくの一種であったと言われる。
いちじくが持つ色々な意味を調べると大変興味深い。

先行試聴会で流されたという「SWEET CANDY RAIN」8分バージョンでは、
いちじくの部分がどう表現されているのだろう。
今流れているPVでも、運転手がトランクを閉めているシーンと
「私が殺した・・・」の語りで、トランクの中に女性の死体が
あったように思うのだが、いちじくを剥く女性と運転手との関係が
完全バージョンで明かされているのだろうか。
DVDに収録されているんだよね?そうで無かったら堪らない。





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