2005年02月07日(月) |
決戦前々夜〜W杯最終予選・プレイバック。〜 |
というわけで、よいよW杯最終予選。一次予選のときもやって好評?!だった、過去のW杯最終予選のときの思い出(別名、あのとき俺は・・・)
参考:JFA
・93年・アメリカW杯最終予選(カタール・ドーハ) *6チームによるセントラル方式、1回戦総当たり。上位2チームがW杯へ。 93.10.15 水 △0−0 サウジアラビア 93.10.18 土 ×1−2 イラン 93.10.21 火 ◎3−0 北朝鮮 93.10.25 土 ◎1−0 韓国 93.10.28 火 △2−2 イラク この当時は、Jリーグこそ開幕したが、それほど積極的にサッカーを見る、ということはなかった。ちょうどこの年の10月、名古屋から東京に異動になったばっかりというのもあるし。 で、最後のイラク戦は、22時JSTキックオフ。テレビ東京をベッドの中で見ていて、・・・気が付いたら試合が終わっていた。確か日本がリードしていたよな、と思ってTBSラジオ「ミッドナイトパーティー」をつけると、黒住祐子が、あのノーテンキな声で「ニッポン、残念でしたねー。」・・・・。
・97年・フランスW杯最終予選(H&A) 10チームを2グループに分け、最初はセントラル方式が予定されていたが、会場をどこにするかで喧々囂々。結局、どのチームにも公平にということで、完全H&A方式となるが、おかげでJリーグの日程に大打撃。 参考:1997年俺のサッカー観戦記録 ブランメル仙台・1997年試合記録
この頃になると、もうがんがんサッカーに行きまくり、の生活でした。
まず、話はチケット発売日。8月某日の平日、帰省していたのでエスパルのチケットぴあに、朝9時に並ぶ。この日は、「ホーム4試合スルーパス」(だったかな?4試合の自由席で1万円)のチケット発売日。日本サッカー後援会での優先入場が、先着2千名ということだったので、このチケットに狙いを定めて。 10時。チケット発売開始。俺の前に並んでいたのは10名。・・・しかし、5名で「完売です」・・・。
それでも、捨てる神いれば拾う神あり。この(チケット取れなかった)話を、NIFTY-Serveの日本代表会議室で愚痴ったら、とある(名前忘れたが)関西方面の方から、「定価で」譲ってくれるとの申し入れがあり、一も二もなくご厚意に甘えることに。
では、試合を振り返る。
・第1戦 97.09.07 日 H ◎日本 6−3(4−0) ウズベキスタン この日は、フェンシングの全日本選手権・南関東予選。しかし、予想に反し(下馬評通り?)1回戦敗退。で、終わったのが11時頃だったので、さっさと会場(東京厚生年金)を撤収し、向かった先は・・・浜松。 そう、この日はJFL、本田−B仙台戦。勝ち残っていれば、行けない予定だったのだが、第10プール(2廻り目の試合)のところが、棄権者が出たために第二プール(1回り目の試合)となり、しかも幸か不幸かさっさと負けた(3戦全敗。最後の試合は4−1から逆転負け)ので、行くことになった。場所は遠州灘、試合開始15時。キックオフには間に合ったが、そこで見たものは・・・
本田 4−0(1−0)B仙台。 青嶋先制ゴール、そしてマルクス(現川崎F)、ハットトリック。 この敗戦で、B仙台のJFL優勝可能性が消滅。
国立のチケット持っていたので、速攻で帰京、着いたのが前半終了間際。 しかし、前半は4−0も、後半2−3でしょ。国立に負け運を持って行ったと、言われたとか言われなかったとか。
・第2戦 97.09.19 金 A △日本 0−0(0−0) UAE まー、そんなもんかな、というのが印象。TVで見ていた覚えはあるが。
・第3戦 97.09.28 日 H ×日本 1−2(1−0) 韓国 この日は日曜14時開始。本来、この日はJFL、B仙台−デンソー戦が行われる予定だったのだが、W杯予選のために前日に繰り上げ開催。B仙台1−0(0−0)デンソーであったが、他の試合の結果で、B仙台のJリーグ昇格可能性が消滅した。ちなみに俺は、9/27は町田にて、山形1−2川崎Fを観戦。 で、韓国戦。呂比須ワグナー日本帰化して、初代表の試合。山口のループまでは良かったのだが・・・アウェイ側でおとなしく観戦、その後川崎球場に行き、FMWを観戦。セミが小橋−グラジエーターで、メインが・・・なんだっけ?大仁田は引退してたんだっけ?思い出せないや。→検索したら、大仁田−金村だった。で、セミがハヤブサ・人生vs小橋・モスマン、セミ前が田中−グラジだった、と。
で、第3戦と第4戦の間に、日本テレコムと日本国際通信(ITJ)が合併し、新生・日本テレコムがスタート。そういや、日本テレコムがC&WIDCと合併する、という報道もあるが・・・このことについては日を改めて記す。
・第4戦 97.10.04 土 A △日本 1−1 カザフスタン この日は土曜18時開始。毎週土曜は、浅草でフェンシングの練習に通っていた(今も行っているが)ので、とりあえづTVを見ることができる定食屋に18時頃入り、TV観戦。で、1−0でリードして、後半30分・・・さすがに定食屋で1時間半粘るのが限界だ、まぁこのまま勝てるだろうということで、席を立って、練習に向かう。 で、とりあえず練習に加わるが、そろそろ試合終わっただろう・・・と、ラジオ片手にトイレに向かう。そこで俺が聞いたのは・・・モロビー師岡アナの絶叫。ロスタイム同点ゴールを許し、1−1でドロー。 この時点で1勝2分1敗、勝点5で3位だったかな?
この結果を受けて、加茂監督更迭、岡田コーチが監督に就任する。
長くなったので、続きは明日の日記(予定)で。
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