2004年06月07日(月) |
今更だが、2001.9.8V仙台0-2大分〜恩氏を騙る〜 |
去る6月5日。七ヶ浜でのS仙台3−2北陸戦。恩氏大暴れ。
(以下、掲示板より) O氏T夫被害者同盟 投稿者:男子高共学化賛成!! 女子高共学化反対!! 投稿日: 6月 5日(土)17時40分26秒
恩氏考夫(漢字忘れた)。
本日のJFL通常国会、七ヶ浜委員会で恩氏議長による審議打ち切り、強行採決が行われ波紋を呼んでいます。 本日の七ヶ浜で行われていました国会で、与野党ともに淡々と審議が行われ、 開始5秒に放たれました北陸の秒殺センターから放たれたシュート。4分で決まった北陸のミドルシュートから始まり、北陸側、川崎元気委員による功の切替のみに専念するが為に異様にやる気を感じさせない姿勢。声を出し合う北陸の選手。仙台側、内田委員の会場全体に響かんとする声、なのに誰も声を出さない内田以外の仙台側選手。それをも払拭させるきじの鳴き声。
などなど淡々と審議が行われ「のどかなる府 JFL」の威厳を保っていたところでありますが、後半になりますと、議長介入が始まりました。 やはり出さないと違和感を感じるのか使い出した黄色のカード、それのみならず、あやふやで線審に「だからコーナーキックだって!!」と旗で示されて、「じゃあコーナーキックです」という曖昧さを暴露し、2−2で進行した審議(試合)を、「このまま引き分けるなんて議長たるオレの出番がないじゃないか」といわんばかりに、ゴールエリアで北陸のGKともう一人の選手が交錯して倒れてソニーの選手が倒れたシーンにあやかり、「はいGK! 君はもう帰っていいよ」とJFL審議の打ち切り動議“赤紙”を切り、会場全体を間延びさせる恩氏議長ならではの暴挙に出ました。 これには野党北陸席から怒号、与党側からは北陸GKに対してでしょうか?「○○に帰れ!!」と罵声が飛び交い、議場の七ヶ浜スタジアムは一時騒然とした雰囲気に包まれました。 結局、この議会は議長職権により閉会が5分も伸びた上に、文句の言い合い、など、JFLの威厳を失ってしまうのではないかという時間を経過し、3−2でソニー仙台・勝利の採択がされました。
一部議員からは、「JFL史上に見ない暴挙」「審議を差し戻せ」と声が出ており、O氏T夫不信任による解任決議案が出される模様。 これに対しO氏T夫議長本人からは、主審の威厳を俺様として保って粛々とカードを切りつづけるとのコメントを出しております。
(掲示板より、以上)
公式記録より抜粋。 ○第6回JFL第12節 2004年6月5日(土)13時 七ヶ浜サッカースタジアム 晴 風:弱 主審:恩氏孝夫 観衆:354人
ソニー仙台FC 3−2(1−1) アローズ北陸 仙:11高野和隆(PK),49OG,84本多進司(PK) 北:4島袋信介、54石橋直希 (警告) 仙:32山口武士、55本多進司、85高野和隆、87橋本淳 北:73小柴誠 (退場)北:81水上秀一(阻止(他))
話は変わって。 (そもそも最初に俺が怒ったのは、前節で恩氏が草津−S仙台戦の副審をやっていたのに、二週続けてソニー仙台の試合に絡むのはありなのか?と思ったら。 99年に、テリーという審判が招聘されたが、21節FC東京−山形戦、22節山形−札幌戦と続けて笛を吹いて、しかもともに山形不利の笛を吹いて大騒ぎ?になったそうだ。
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そうだ、今日の日記は「2001.9.8の試合、恩氏を騙る」だった。 ちなみに、なんでこの試合の話になったかというと、週刊JFLニュースの掲示板で、上記S仙台−北陸戦のスレッドで、恩氏の過去の大暴れとして、俺のHPでのV仙台−大分戦のことが紹介されたから。
まず、恩氏について。
恩氏が宮城県で笛を吹くのは、くだんのV仙台−大分戦以来。で、2001年J2最終節。山形−川崎F戦で笛を吹き、「恩氏の恩返し」と言われた話は有名だが。 ベガルタに絡んだのは、俺の記憶では2002年4月の、鹿島戦で第一副審。そう、2点目となった山田の左サイドからのクロス、はみ出ていたのを見逃してくれたのは、ありがたや。
まぁ、確かに恩氏というのは(恩氏に限らずだが)、ブチ切れるとカード出しまくって処理、というパターンが多いわけで、ねぇ。
一方、2001.9.8の試合について。
この試合のハイライトを挙げるなら、 ・”和製電柱”船越の、仙台側客席に向かっての唾吐き →試合終了後、仙台サポが大分のバスを囲み、船越謝罪。 なんだよ、知ってれば俺も囲んだのに(自爆)。 あの日は試合終了後の雨で、しょぼーんとしてたので、そのままバイクで実家に帰ったのだった。
・勇介、リカルド、そしてテルの退場 勇介2試合(+チームとして2試合)、合計4試合停止 リカルド1試合停止 テル1試合(+累積8枚目なので2試合)、合計3試合停止
結局、勇介が出られなくなったので右SB不在→次の横浜FC戦では飯尾→それ以降はヴィエラが右SBを努め、結局ほぼ最後まで右SBをヴィエラが勤める。怪我の功名、という感じ。
・チームとしての勢い 勢いという意味では、あの時点(大分に負けた時)が、どん底だったのかな、と思う。でも、結果としてどの時点で「底」なのかは、シーズンが終わってみないと分からない。景気も、株も同じだが。 これを今年のベガルタ、今年のJ2に例えると。 ベガルタの今年の「底」は、開幕から4月までの時期なんだろう。川崎Fも、最後まで独走はありえないだろう、と楽観的に考えてみる。 (でも、実は今がピークだったら・・・ガクブル)
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