2004年01月08日(木) |
佐川東北、塩竃FC傘下で市民球団として再スタートへ。 |
朝、いつものように本八幡からJR総武線に乗ろうとすると、やたら有人改札口が混んでいた。どうやら、都営新宿線、午前7時53分に九段下駅で人身事故があって、振替輸送をやっているらしい。で、総武線に乗り込むと…午前8時過ぎ、「飯田橋で架線にビニールシートが絡まった」って…。一応、電車自体は少しは動いていたので、市川で総武線快速に乗り換え、東京駅→京葉線で八丁堀へ出社。
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で、今日の寝た、というか実は昨日1/7の河北新報より。 記事はこちら。
サッカー、東北社会人リーグ1部の強豪でありながら昨季限りで廃部となった佐川急便東北が、塩釜フットボールクラブ(塩釜FC)傘下の市民クラブのトップチームとして生まれ変わる。監督には、J1横浜Mのジュニアユース監督を務めた経験のある日本サッカー協会理事、野地芳生氏(44)の就任が決定。チーム名も公募し、2月新たにスタートする。
佐川急便東北は東北社会人リーグ1部で昨季3位の成績。会社からは昨年5月に支援打ち切りと廃部の方針が伝えられた。社団法人としてユース、ジュニアユースを抱える塩釜FCの小幡忠義理事長は「市民のチームとして残していきたい」と会社側と協議。10月のシーズン終了後にチームを引き継いだ。
塩釜FCは今後、塩釜など宮城県内各地から協賛企業を募り、遠征費など運営の支援を呼び掛けていく。 新チームは30人規模になる予定。旧チームから移った選手は小山貴広主将ら15人で、残りは来月上旬に開催するセレクションで決める。選手は仕事の傍ら、4月ごろ始まる東北社会人リーグ1部に臨み、優勝とJFL昇格を目指す。
小山主将は「サッカーができる場所が見つかったことがうれしい」と話す。一方、小幡理事長は「ユースなどの子どもたちにとって、目標となるチームにしたい。地域とのかかわりを大事にしながら、真の市民チームとして『J』を目指したい」と意気込む。 公募するチーム名では、原則「塩釜」の名称が必要。今月下旬には名称を正式に決定する。
*** ちなみに、塩釜FCの「現在の」トップチームは塩釜リーグ1部所属。2000年には、塩竃リーグ優勝、宮城県リーグ昇格選考試合も優勝して宮城県リーグ昇格。2001年にはいきなり宮城県リーグ準優勝も、2002年は8位(最下位)に終わり塩竃リーグ降格。去年は6チーム中2位(優勝は、ソニー仙台FCのOBが多数?在籍する、ソニーSC)。 *** 佐川急便東北は、1996年に創部以来、仙台市実業団リーグを4部、3部、2部、1部、宮城県リーグ、東北2部(2002年優勝)、東北1部と順調にステップアップしてきただけに、ここ(2003年)での会社の支援打ち切りは、「梯子を外された」みたいな感じだったが。 一方、佐川グループ全体で見ると、毎年GWに佐川グループの全国大会なるものが行われている。これは各地域支社対抗として、毎年かなりの盛り上がりを見せる。その成果として、2000年から佐川東京、佐川大阪、佐川印刷と3チームがJFL入りを果たしている。また、佐川東北以外にも、佐川急便埼玉(埼玉県一部。根子達也=元B仙台=所属)、ウエスト佐川(札幌リーグ2部)、佐川急便中国(広島県リーグ1部、来季中国リーグ昇格)、佐川急便中京(静岡県リーグ1部、1月下旬に東海リーグ2部昇格選考試合)、佐川急便京都(京都府リーグ3部。来季1部に飛び級で昇格)など、各地にチームがあるが、それもそもそもは佐川グループの全国大会が主目的である…との噂。 佐川東北の支援が打ち切られたのも、「佐川グループ大会で、東日本予選も通過できなかったから」という噂は本当か?
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やっぱ、現在ある、塩竃FCのトップチームの存在を考えると、正直、「なんだかなぁ」と。塩竃FCも、ユースチームのメンバーをトップチームで使えば、宮城県リーグの優勝争いくらいはできるんじゃないか、と思うが。 まぁ、お互いの利害が一致した、といえばいいのか? いずれにせよ、「上」を目指して闘うチームが増えることは、個人的には楽しみではある。
あとは、佐川東北の動向として、「盛岡からJリーグを目指すチームの母胎になるのでは?」という予想を個人的にしていただけに…外れた。
P.S.某HPにこの話を書いたら、「現塩竃と新塩竃をごっちゃにしてませんか?」とのレスがついた。現塩竃と新塩竃、って…JRの本塩釜(仙石線)と塩竃(東北本線)かよ! *駅としての歴史は、本塩釜(仙石線)に比べて、塩竃(東北本線)の方が新しいので、地元の人は東北本線塩竃駅を「新駅」と呼ぶそうだ。
<参考リンク> 塩竃FC 佐川急便東北応援HP
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