2003年10月20日(月) |
日記4万ヒット御礼/V仙台4−0横浜FC(10/18) |
昨日で、この日記が四万ヒットを突破したようです。皆様のご愛顧に感謝します。3万ヒットは7月22日。そこから約3ヶ月。ペースが上がってる?
さて、10月18日の日記の続き。 16時から行われたV仙台−市原戦試合終了後、清掃のため一旦観客は外に出される。20分くらいで掃除が終わり、ゲートオープン。全席自由席だったため、記者席ゲットずさー。当然?PCの充電。で、俺の隣には小婆氏をはじめ、ユースや○ざ勢揃い(俺もなのか??)。 しかし、売店が全部閉まった上に、ゴミ袋もないのはどういうことよ。一方、バックスタンドでは、横断幕の撤収とかやっている間に、一回クローズ→オープンされたようで、結局コア部はそのまま(外に出ずに)見ていたらしい(横断幕等は、全部畳んだけど)。
○第11回Jリーグユース選手権Cグループ 2003年10月18日(土)19時 晴 仙台スタジアム 主審:松村匡 観衆:1,200人
ベガルタ仙台 4(1−0)0 横浜FC (3−0)
で、記録関連は、その筋(苦笑)の方々が書くと思うので、全然(メンバーも含めて)メモ取ってないのであれなんですけど。前半はまたーりと見てました。このCグループは、仙台、横浜FCの他には市原と鹿島。4チーム×7グループで、各グループ1位と、2位の7チーム中上位5チームが決勝トーナメント進出。市原、鹿島相手にホームで連敗している仙台としては、この大会初参加の横浜FCに負けるわけにはいかない。しかも、大量得点での勝利が義務づけられた試合。 ふだん、仙台スタジアムでのサテライトの試合でも、場内アナウンス・ビジョン使用はないのに、トップからの流れなのか、大坂ともおさんが場内DJをやり、大型ビジョンでのメンバー紹介があり(ゴールシーン再生はなし)と、ある意味豪華。
試合は…それでも試合のペースは7:3といったところか。横浜FCも決定機は殆どなし。前半20分に仙台先制も、シュートは前半仙台5本、横浜1本。
応援は、仙台はゴール裏で、仙台旗族中心にやってた。一方、横浜FCは、後半あたりからゴール裏に人が集まり出す。で、行ってみると…なんだい、知ってる連中じゃん(爆)。仙台在住の横浜FCサポが一名いて、その方が旗持ってきて、練習着持ってきて。他、奇特な?仙台サポが約10名ほど、横浜FCに加勢。
でも、横浜FCの応援といっても… 横浜FCの応援といえば、横浜フリューゲルス時代から、サンバ系(かつては横浜JETS。ASA AZULを経て、今はEL CIELO)と、ULTRA系(TIFOSI)の対立の歴史なのだが、10/12水戸戦あたりから、この両者が融合(統一)して応援をしているらしい。 ただ、統一してどういう応援をしてるか知らないので、今回は大体は俺の記憶にある、サンバ系の応援をやってた。まー、たまにはベガルタの敵に回る、というのもいいか。 8月3日の宮の沢で、仙台を応援していた札幌サポのU○I氏(仮名)の気持ちが少しわかった。さらに遡ると、1996年3月、シーズン開幕前の、岩沼での東北スーパー盃(B仙台−S仙台)で、(当時、B仙台のゴール裏を仕切っていたVictoria VIENTOに反発する形で)ソニー仙台の応援をしたということもあったっけ。
試合としては、後半仙台が1点取って2−0とし、3点目、4点目が入ったのはロスタイム。仙台的には、もっと早く崩したかったところだが…。
ちなみに、佐藤豪(仙台一高1年、FW)の応援歌を考えてきたが、歌う機会がなかったのはここだけの話。
立ち上がれ佐藤豪 この世のために ベガルタが生んだ 和製電柱
*小笠原道大の節(作詞・作曲 神俊雄)で
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