2002年11月09日(土) |
新潟2−2大宮/市原1−0浦和 |
土日きっぷマンセー。
というわけで、まずはMAXあさひで新潟へ。 このMAXというのが、初期タイプ(通称”KONISHIKI”)なのだが、客席のある部分に、コンセント(当然AC100V)がついているのを発見!しかし、今回のツアー(といっても日帰り)はPCも持参したのに、PC接続用のPHSを自宅に忘れたのは、ある意味不覚だった。
で、国境のトンネルを抜けると、雪国だった。…って、川端康成ではないが、事実そうだったのだから仕方がない。一応、試合会場は雪はやんでいたが。13時前に会場着、出足が悪い…って思っていたら、試合開始時にはほぼ満員に。 アルビチアの演技もあったが、ラインダンスがなかったのは残念。メイン指定で観戦。
◎第4回J2第42節初日 2002年11月9日(土)14時 新潟市陸上競技場 晴時々曇 8.0℃ 主審;恩氏孝夫 観衆:11,538人 アルビレックス新潟 2(0−2)2 大宮アルディージャ (2−0) 【得点】2分(大宮)原崎 政人 34分(大宮)斎藤 雅人 53分(新潟)マルクス(PK) 80分(新潟)マルクス
【警告】(新潟)ベット(大宮)斎藤、ウスタ
【退場】37分(新潟)セルジオ (阻止(他)) 52分(大宮)奥野誠一郎(阻止(他))
記録、メンバーはこちら。 で、主審が恩氏と聞いて、…何かが起こるか?と思ったら、立ち上がり2分、風下に立った大宮がするすると攻め込んで、原崎のゴールで先制。場内呆然。その後も風下のはずの大宮が優勢に攻め、新潟の守備の混乱を突いて斎藤が2点目。さらに、37分にはセルジオが、大宮の選手を倒して一発退場(ジャッジ自体は妥当だが、倒したのは確かにPA内だと思ったが、大宮のPA外FKでの再開だった)。 後半になると、新潟が終始ペースを握る。52分には奥野が新潟選手を倒して一発退場。これも妥当なジャッジ。キーになったのは、後半から投入された深澤。彼ががんがん左サイドを駆け上がってはチャンスを作っていた。で、80分にはマルクスの同点弾、しかし勝ち越し点は奪えずじまい、2−2でタイムアップ。 で、昨日の日記で、「J1昇格もう一つは川崎Fだろう」と書いたら、早速?大分スタジアムで大分2−1(2−1)川崎F.これで、大分のJ2初優勝が決定するとともに、川崎Fの昇格可能性が完全に消滅…。来週は長居で、C大阪−新潟の直接対決大一番があるのだが、セレッソが今日の5−1での勝利で勝点83,新潟が79.セレッソが勝つか引き分けるとその時点でセレッソの準優勝、J1復帰が確定する。うーん…。
で、「まだ諦めるなよ!」と声がかかる中を、白山駅から越後線、そしてMAXあさひで大宮→赤羽→新宿→千駄ヶ谷。
◎第10回J1セカンドステージ第12節初日 2002年11月9日(土) 19時 国立霞ヶ丘競技場 11.0℃ 主審;片山義継 観衆:23,387人 ジェフユナイテッド市原 1(1−0)0 浦和レッドダイヤモンズ (0−0) 【得点】2分(市原)羽生 直剛*Jリーグ初得点
記録、メンバー等はこちら。 市原の「国立5万人キャンペーン」に踊らされて、ついついチケット買ってしまった。で、着いたらちょうどキックオフ直前。試合は、立ち上がり2分に市原の羽生が、ドスンと一発。で、結局それだけ。1−0でそのまま勝利。 「5万人キャンペーン」という割に、バック2Fは空けてなかったりだったが、それでも市原主催試合で2万を超えたのは、6年ぶりらしい。ちなみに、1995年に俺が見た、国立での3月の浦和0-0PK11-12名古屋戦では、名古屋サポはG裏の1ブロックだけ。その他は全て浦和サポ。5月の逆カード(名古屋主催の名古屋2-2PK5-4浦和)でも、名古屋サポはホームG裏の3ブロックのみ(ホーム側3ブロックまで、浦和サポが浸食していた)。ただ、今回の試合は、浦和サポはアウェイG裏に全部収まっていた。市原のG裏はスカスカ…。うーみゅ。
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