ちょうちょうの気持ち
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| 2007年02月22日(木) |
ゲスカンではなかった。 |
一昨年の日記より。
2005年07月02日(土) 堆肥舎
(略) 堆肥を屋根付きの堆肥舎に入れて発酵させてなければならなく なって、数年。たぶんこの町で堆肥舎のない農家はうちと、 あと数年で離農する予定のところくらいだったのですが、 我が家もついに建てさせて頂けることになりました。 ひそかにこれは離農勧告が近いのではないかと恐れていたので すが、とりあえずまだクビは繋がっているようで一安心・・・・ だと思っていたんだけど考えてみたらうちの借金でとりあえず 建ててから離農させて破産させて安く買い叩いて前途ある若者に 転売・・・なんてこともありかと。そんなことないでしょうねぇ、 ねぇねぇ、 ○○さん、 違うと言って。
(後略)
これですが、私のおちゃめなゲスカン(下司の勘繰り)だと思っていたら どうやらそうではなかったと教えてくれた人がありました。 ただ、その思惑は立ち消えてしまったので別にどうともならなかったし 家は全く無関係の人に買ってもらえたし。
いやーー、なんでこの話を今持ち出したかと言うと、この日記に 「離農勧告」で検索かけてきた人がいたんですよ。 それでこの古い日記をみつけて、心で勘ぐっていただけじゃなくてこうして 文章にまでしていたんだな、と感心したというわけでww
思えばギリギリのタイミングで離農したのだと、河津桜の咲く房州で しみじみしてしまう今日このごろの私だったりします。
本当はずっと牛飼いでいたかったと思うけどね、ただ、離農という結果の 中ではかなり幸運だったとつくづく。
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