ちょうちょうの気持ち
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2006年12月04日(月) 毒を吐く。

我が家のちゅー作戦はとりあえず続行中ではありますが
どれほどの効果があったかというと、母子のスキンシップの
強化という点にのみ絞られているような気がします。
娘は

「わたしは腹の中はまっくろいョ」

「学校ではちゃんと良い子にしていてストレスがたまるから
家でくらい好きなように言いたい」

とけろっとしています。
たしかに学校ではかなりおりこうさんらしい。


彼女のストレスが如何ほどのものか、ということはさておき
娘にきれいな言葉を使わせたいのは娘のためなのか、それとも
母としての資質を疑われないために躍起になっているのかと
いえば、まず間違いなく後者であると思われ。
ピアノの先生のブログに「ものを習う以前の態度」というような
記述があると、誰とは書いていなくてもどきどきしてしまうし
その週の失礼な言動を思い浮かべてかなしくなったりするけど
それはやっぱり子供たちがどう、というより親に向けられた
メッセージだと思うし、恥ずかしいのは自分の至らなさをずばりと
指摘されているような気持ちになるからで。

先週、高速バスの中から東京湾を見つめつつ突然思ったんだけど
もし娘が毒を吐くことで彼女なりのストレスを発散しているならば
それをやめさせるとそのもやもやと黒いものは何処へ行くんだろう、
というより、毒を吐くことがある意味の癒し?になっているの
かもしれないなぁーって。だからなあ、くそばああ、くらいは
言わせておいてもいいかなあ。きちんとするべき場面できちんと
出来ていればねぇ。表裏があるのってどうかとも思うけど
表裏のない人間なんかいるんですかね。まあ、いるんだろうな、きっと。
だけどそいうい人は生きづらい。今さら自分の娘に天使のような
清らかさを要求しても、親を見て育って今がある以上それはそうとう
無理な要求であろうし。
人を嫌な気持ちにさせたり、あまりにも周りに対して思い遣りのない
発言はゆるせないけど、母にくそばああくらいは言わせておいても
いいかなあー、ていうか、こういうのって一時的なものだったかも
しれないな、とか。小さいうちに言わせたいだけ言わせて、それでも
あんたが好きよ、というスタンスでいてやったほうが良いのでは
ないかとか、フロイトのなんとか期じゃないけど、そうゆうのって
ありじゃないかと思ったりします。


それにしても、なぜピアノではあんなにでれすけになっちゃうのか。
先生のことすごく憧れていて、好き好きオーラ出しまくりのくせに。
少年が大好きな女の子をつい苛めたくなる心理と似ているんだろうか!?
まさかーとは思うけど、それに近いものがあるのかもしれないなぁ。
どこまでだったら受容してもらえるか、、とか?
でも先生は家族でもないし近所のお姉さんでもないし、もちろん友達
でもないし、良い関係を築きたかったらピアノを真剣に習うことが一番
だと思うんですけどね。
いつになったら気がついてくれるのかなぁ(・ω・)
とりあえず母が出来る手助けは前の週より上達してレッスンに行かせる
ことくらいですかね。


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