ちょうちょうの気持ち
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昼間、めぐがオットと一緒に”ピカチュウ元気でチュウ”という 昔懐かしいゲームをやっていた。 ピカチュウにマイクで呼び掛けて動かすやつ。 これって草太が2年生か3年生のクリスマスにサンタから もらったやつで、朝っぱらからでかい声で 「ピカチュウ、おはよう! ピカチュウ、かわいいね。 ピカチュウ、これからずーーっと一緒だよ。」 なんて言ってるのを聞いて妙に気恥ずかしくなったものだ。 最初は恥ずかしがって 「おとうさん言ってよーー」 なんてくねくねしていためぐだが、そのうち夢中。 いつのまにやら草太まで湧いてきて、めぐのマイクを取り上げて 泣かせたりしていた。ホントにうるさい人たち。
元気、元気。 元気っていいよね。 貧乏でも家族仲良く、元気で暮していければいいわ〜♪と思って いたらあるときある人から 「あなたからは必死さというものが感じられない」 と言われた。経営が軌道に乗らなくて、大変だというのに今の 生活をなんとしても守り通すぞという必死さが、まるでない、と。
ずっきん。
ずっきん。
ぐさぐさと突き刺さって来るのはそれが図星だから。 今のこの仕事がダメになったとしても、きっと生きていけるだろう、 生きていれば何とかなるさと、思ってしまうのだ。 店員などしている自分の姿など想像することもある。
人生をなめているわけではないし、努力をしていないわけではない。 挫折しないに越したことはないけど、挫折しても立ち上がれるバイ タリティーも、ある。 今ここでこうしていることだって、最初のビジョンとは大幅に ずれちゃってるわけだし。
でも、挫折しない人は挫折しないために必死の努力をするのか。 ではやはり必死さのない私は・・・!?
だから時々私は自分に問い掛ける。 これからどうしたいのか、と。 そして、今より少し、必死になろうと、思う。
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