昨日は4週間に1回の診察日のため、八戸赤十字病院へ行ってきました。私が通うのは「血液内科」ですが、いつもの看護婦さんが別の部屋に出入りしているので、きっと異動になったんだろうなと思っていました。
そうしたらしばらくしてその看護婦さんがやってきて、血液内科の診察場所が移動になったというのです。そのとき初めて各科の表示を確認したら確かに別の場所になっていました。
もう何年も通いなれていたために思い込みでいつものところに座って待っていたのを、例の看護婦さんが迎えに来てくれたのでした。どおりでいつも遭遇する同級生(彼も血液内科の患者)が別の場所にいたので、なんだか別の科にもかかっているのかなといらぬ詮索をしてしまいました。
「倭人」という呼称がどこで出てくるかというと、かの有名な邪馬台国の史料として知られる「魏志倭人伝」である。「倭人」は日本人の母体となった種族であるが、「倭人」という呼び名自体はあくまで中国の人が形質・風俗・習俗・言語等の共通性に注目してくくったものに過ぎない。「倭人」の分布の中心は九州にあったらしいが、それと類縁関係にある「倭」、「倭種」は、日本列島を超えて、朝鮮半島南部、山東半島、江南地方を含むシナ海域にまでひろがっていたという。だから「倭寇」「倭人」「倭語」「倭服」などという場合の「倭」は決して「日本」と等置できる語ではないそうだ。この地域に居住する人たちは、なかば日本、半ば朝鮮、なかば中国といったあいまいな人間類型を「マージナル・マン」と呼ぶ。
本書はいわゆる「倭寇」が東アジア(朝鮮・中国)にもたらした功罪について論じられている。なかでも「朝鮮王朝実録」に登場する「倭人」について述べている。特に「倭寇」といわれる主に「倭人」のしわざと考えられた海賊行為の記述の中に、当時朝鮮が「倭人」をどうとらえていたか見出している。
倭寇といえば昔日本の海賊が明や朝鮮の沿岸地帯を荒らしまわったぐらいの認識しかなかったが、実際にはその海賊の中には明人や朝鮮人も交じっていたり、また主導していた人物もいた。しかも一方的に倭寇が荒らしたわけではなく、明や朝鮮の商人が介在し、密貿易に加担している者も少なからずいたということだ。だから明朝も朝鮮王朝もなかなか倭寇をうまく取り締まることができなかったのだろう。
本書は「実録」の引用が極めて多数出てきて、読み下し文であるものの、大変読みづらかった。ただ現在の地図のほかに当時の絵図面を用いての説明は、昔の様子を彷彿とさせ引き込まれるようだった。
アヘン戦争から約10年後に起きた「太平天国の乱」は、19世紀の初めの14年間、洪秀全がもとはキリスト教を独自に解釈して「拝上帝教」を創始したことに始まる。始めは新興宗教といったところだったが、その宗教運動が革命運動へと変節していく。
「太平天国」とは聞いたことはあるものの、一体どんなものか良く知らなかった。最初はカトリックだったのに途中変節していく。それは自分の理想を追い求め、ユートピアを建設しようとせんがための必然であったのだろう。こういうプロセスは現代でもあちこちに見られる新興宗教が成長していく過程と同じではないかと思う。貧困層を巻き込んで大規模な組織を作り、軍事部門まで持つに至り、すっかり清朝に対抗する革命勢力になった。
しかし洪秀全が天父として祭り上げられ後宮に引きこもってしまい、表舞台に出てこなくなる。これでは民衆の信頼は崩れてしまうのも当然と言える。地上に天国を作るとした当初の発想は良かったが、実際には最後に自分だけちょっといい思いをした。だからたった14年で太平天国の世界は消滅した。
索引が人名と事項に分けられており引きやすかった。写真は所々に使用されており、興味深い場所が写っていて参考になった。ただ、地図をもっとふんだんに利用して説明してくれれば、さらに理解が深まるものと思う。