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2004年06月15日(火) 耳の話

「耳」って、結局は、頭なんですね。
わけわかんないっすか。

いや、つまり、「聴覚」ってやつは、結局は、どこを聴こうとするか、という意識であるわけで。
聴こうと思わなければ聴こえない。
聴こうと思うから聴こえてくる。
そういうものが、世の中にはいっぱいあるんですね。

例えば、今聴こえてくる、窓の外の鳥の鳴き声だって、「あ、鳥の鳴き声だ」と意識しなければ聴こえないわけで。
誰かが自分に話し掛けていても、それに気がつかなければ、聞こえていないということで。
結局は、視覚も聴覚も、意識という媒体によって知覚されているのだ。
・・・まるで、京極夏彦の世界だな、書いていることが。

いや、なんでこんな事書いているのかというとですね。
ショパンのソナタb-mollの4楽章を弾いていてですね。
昔(といっても一年前)は、とにかくチャンチャラ弾きまくってたわけですよ。
でも、今回は少しでも進歩しなければ、と、細かく細かく和音やら旋律の動きやらをゆっくりと頭に叩き込むように、練習し始めたのです。
そうすると、ねぇ。
まったく、曲が、違うのですよ。
こんなに、いろんな色が、このフレーズに、この一小節に、あるのか、と。
ただただ、弾きまくっていては、わかんなかったものが、頭で理解したとたんに、びっくりするほど聴こえてくるなんて。
こんなに、深みが増すものか、と。
今まで、私ゃ、何やってたんでしょうねぇ、よよよよ・・・(涙)。

結局は、「耳がいい」というのは、意識的に聴ける、ということなんだな。
もちろん感覚だけで、出来ちゃう人もいるだろうけど、凡人である私は、一生懸命頭を使って、意識を起こしてあげなくては、耳も、起きないわけです。

しかし、私の耳にはこう聴こえていても、他人の耳にどう聴こえているのかは、一生わからない、謎のままなんだよなぁ。
世の中の奥深い事よ。


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