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2012年10月09日(火)
大事な記録ほど、扱いにくい状態で機械化が進んでしまう

『「調べる」論〜しつこさで壁を破った20人』(木村俊介著・NHK出版新書)より。

(各界の「調べる」ことによって成果を上げてきた人たちへのインタビュー集から。ヒューマンエラー研究者・中田亨さんの項の一部です)

【ミスを研究し続けていると、日本の組織というのはどのような構造にあるのか、という研究も別個に行うようにはなりました。たとえば、年金の記録が消えてしまったという大きなミスがありましたよね。あの時には、年金事務所で働いている人が怠け者であるだとか、注意が足りないんだとかいうようなことが世間ではよく言われましたよね。
 しかし、日本の組織のうちのひとつが起こした問題でもあって、個別に年金に関連した人々が悪かったというようなことよりは、むしろ、国の重要組織だからということから来ている問題のほうが大きいように私としては考えるようになりました。
 年金って、とても大切な記録ですよね。だからこそ、非常に早い段階で、かなり昔からコンピュータが導入もされた。その時に使っていたコンピュータにそのつど微調整を加えて、何とか、今までやってきたんです。すると、その結果で何が起きているのかと言うと、いまだに画面が白黒のコンピュータを使って年金を処理している、みたいなことになってしまった。
 家電量販店でも、今、画面が白黒のコンピュータってなかなかないですよね。しかし、非常に大事な記録をする機械に、そんなものを使っているという状況が出てきてしまった。
 あるいは、今のコンピュータならば、ワードなりエクセルなりで、記録の内容そのものも整理された画面で見られるわけだけれども、年金記録の場合はそのことについても何十年も前に導入した非常に見にくい表のままになっていて、つまり、さきほどの画面が白黒という面も含めてですが、これは注意が足りないというのとはまた別に、間違えやすいようなわかりやすい図を見て仕事をしなければならないところに問題があるのではないか、と考えざるを得ないように思いました。
 つまり、どういう経緯でミスが生まれてしまったのか。社会的に重要なシステムであるほど、早めの機械化がなされて、つまり、今となっては「世の中でも相当に遅れている機械を使っている」なんてなってしまうわけです。これについては日本のみならず、世界の先進国でも起きていた状況です。新興国は最近になってからコンピュータを買うから、そうした社会的なシステムを処理する機械に関しても最新型のものが入っているんですけどね。
 ですから、年金記録のミスというのは、起きてほしくなかった問題であるけれども、宿命的に起きてしまったミスでもある。大事な記録ほど、扱いにくい状態で機械化が進んでしまうという。これについては、原発の内部なんかでも、白黒の画面というのは当たり前なほど、やはり重要だから機械化が早かった側面があります。ここから見えてくるミスの状況というのもあるわけです。】

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 「年金問題」というと、「社会保険庁のお役所体質」や「いいかげんな仕事ぶり」がクローズアップされてしまっていたのですが、これを読むと、たしかに「それだけではない」のだなあ、と。
 日本にたくさんのお役所や企業があって、社会保険庁だけが「突出していいかげんな組織だった」ということも無いのでしょうから。
 正直、大事な仕事なんだから、もうちょっと「効率化」を考えるべきだったんじゃないか」という気はしますが。

 この話を読んでいて、僕は以前勤めていた大きな病院のことを思い出しました。
 その病院は、その市で1、2を争う規模で、研修施設でもあったのですが、まだ他の病院が手書きのカルテだった時代に、いちはやく検査の依頼や結果参照を院内でオンライン化し、どこででも見られるようにしたのです。
 これに慣れたおかげで、他の病院に行ったときには、いちいち伝票を書いたり、検査結果が印刷(あるいは手書き)で返ってくるのを待つのを面倒に感じていました。

 ところが、コンピュータが進化し、他の病院でどんどん電子カルテ化が進んできたにもかかわらず、その大きな病院は、なかなか電子カルテ化されませんでした。
 最初にコンピュータが導入されてしまったがゆえに、いざ、先進的な電子カルテに切り替えようとしたときに、なかなか踏ん切りがつかなくなってしまったのです。
 これまでのデータの移動が難しくなることや、システムを一から造り直さなければならないこと、そして、これまでのシステムも、古いけどまだ使えないこともない、ということで。
 まあ、最大の問題は「お金がない」ってことだったんですけどね。

 もとの古いシステムには、「将来的にデータの移行をスムースにするようなシステム」は組み込まれていなかったので、切り替えのときには、「何を残して、何を捨てるか」も問題になりました。
 なんとか新しいシステムに切り替えた際には「一からやったほうがラクだったなあ」なんていう話を、いろんな人から聞いたものです。

「大事な記録ほど、扱いにくい状態で機械化が進んでしまう」というのは、たしかにその通りなのでしょう。
「扱いにくい」というか「システムが十分洗練されていない状態で、『最新技術』が投入されてしまう」ことによる弊害というのもあるのです。
 もちろん、いまの「最新技術」も、いずれは「老朽化」する運命なのですが、だからこそ、「老朽化することを前提としたシステムづくり」が、これからは重要なのかもしれませんね。