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2010年12月09日(木) ■ |
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「僕は小説を読むメリットは、あまりない気がする」 |
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『君がオヤジになる前に』(堀江貴文著・徳間書店)より。
【学校の教師とか、やけに時代小説とかが好きなオヤジたちは、「活字を読みなさい」とうるさく言うけれど、あれはなぜだろう? 知識を得るならネットが一番早くて確実だし、思考力をつけるのならツイッターのほうが手軽で効果的だろう。 僕は小説を読むメリットは、あまりない気がする。 思考をただ埋めるには、役立つかもしれないが……あれは長すぎる。 小説に書いてある、もっとも重要なメッセージにたどり着くのに、延々ページをめくり続けなくてはならない。その間の風景描写や、キャラクターの心情の移り変わりがあまりに退屈で……少々うんざりする。行間を読んで楽しめるほど、僕は気が長くない。 小説を読むなとは言わないし、役立つ部分があるのも認めるけれど。 時間対効果が薄すぎはしないだろうか? 読書にかける時間と、結果として得られる情報の価値が、僕の実感では釣り合っていないのだ。 歴史大河小説を、読んだ経験がないわけではないが、どうも長すぎて……こんなことしているヒマがあるなら別の用事を片づけなくちゃ!と真剣に思う。 時間対効果という意味では、マンガの方がはるかに高いだろう。つまらない小説より、きちんと取材して描かれたクオリティの高いマンガを読んだ方が、より早く賢くなれる。 僕が書いた小説『拝金』は、この時間対効果をできるだけ高く設定することを意識した。 普通の実用書には負けない、読めば役立つ情報を100個ぐらい詰め込んでいる。ディテールが甘いとか、こんな描写の薄いものは小説じゃないとか、厳しい書評もあったけれど、細かいディテールや描写の掘り下げに、何の意味があるのだろう? 正直、そんなものにこだわるのは送り手だけだ。武市半平太の切腹シーンに30分かける発想と同じで、受け手にとっては退屈きわまりない。】
参考リンク:『拝金』感想(琥珀色の戯言)
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僕は活字も読みますし、ツイッターも含め、ネットのヘビーユーザーでもあるのですが、この堀江さんの話には、納得できるところもあれば、頷けないところもありました。
たしかに、小説を読むという行為は、マンガやネットに比べると「時間対効果」に乏しい面はあると思います。 僕が小説を読み始めたのも、小さい頃は、マンガより小説が好きだったというよりは、「マンガだとすぐに読み終わってしまうので、お金がもったいない」と感じていたからでした。 いまは、あの頃に比べると、自分で好きに使えるお金は増えましたから、「読みたいだけマンガを買う」ことも、やろうと思えばできないことではありません。 外でお酒を飲むとか、旅行をすることに比べれば、マンガを含む「読書」というのは、お金のかからない趣味ですしね。そういう意味では、「テレビゲーム」なども、費用のわりには時間を潰せる趣味ではあります。
たしかに「時間対効果」というか、「かけた時間と得られた情報」についてだけ考えれば、小説を読むより「よくできたマンガ」を読んだり、新聞を読むよりネットニュースを見たこうが「効率的」ではあるでしょう。 でも、実際には、「効率的」であることが、必ずしも「正しい」「楽しい」とは限らない。 堀江さんは、「武市半平太の切腹シーンに30分かける発想」を切り捨てていて、僕も「30分はちょっと長いな」とは思うのです。 これを「武市半平太が切腹した」という、ひとつの「情報」として考えるならば、30分は「冗長」だとしか言いようがないでしょう。 しかしながら、その「冗長な描写」のなかには、「人がなぜ自分の腹を切って自殺するのか?」というのを考えるための情報がこめられているのです。
「歴史年表を覚えたら、歴史を学んだことになるのか?」 いや、テスト対策としてはそれで十分なのかもしれないけれど、そういう勉強のしかたこそ、「ネットがあれば勉強しなくていいことを頭に詰め込んでいるだけ」のようにも僕には思えるのです。
最近、僕はこんなことを考えているんですよ。 「ニュースなんて、ネットで読めば十分」「小説よりもマンガのほうが効率的」だという人が増えれば増えるほど、逆に「新聞や小説を読んでいる人」の相対的な価値は高まっていくのではないか、って。 読み比べてみるとわかりますが、短くまとめることが要求されるネットの記事に比べて、紙の新聞には、さまざまな「ネットには配信されていないこと」が書かれています。 「みんながネットでしかニュースを読まない時代」であればこそ、「新聞を読んでいる人」は、「みんなの知らないことを知っている人」になれる可能性が高い。 小説にしても、書いてある「テーマ」みたいなものって、そんなにバリエーションがたくさんあるものじゃない。小説を差別化しているのは、むしろ、「細かいディテールや描写の掘り下げ」ではないかと思うのです。
その一方で、「小説ばかりを読むこと」は、個々の作品の細かい違いにばかりこだわる読みかたに陥りやすくて、たしかに「時間対効果に乏しい」ような気もするんですけど。 でも、本を読むことそのものが楽しい、っていうのも、やっぱりありますしね。
大事なのは、その時代に合った「バランス感覚」だし、「みんながネットでニュースを見て、マンガばかり読んでいる」からこそ、「あえて、新聞や小説を読む」という戦略で「差別化」ができる時代になってきているのではないでしょうか。
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