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2008年10月08日(水)
「世界中、どこへ行っても長さが同じ」文房具

『DIME』No.19(小学館)の連載コラム「サイズに見るモノ考現学」(取材・文:佐藤恵菜)より。

【世界中、どこへ行っても鉛筆の長さは同じ。約177mm。日本のJISは172mm以上と決めている。鉛筆の長さなど、いろいろあってもいい気がするが、どうしてこんなに画一的なのだろう?

 鉛筆の規格が決まったのは1840年頃、ドイツ鉛筆の草分け、ファーバーカステル(当時はA.W.ファーバー)の4代目、ローター・フォン・ファーバー氏が「長さは7インチ(177.8mm)に決めたと言われている。軸の太さや芯の硬度を決めたのもローター氏だ。
 なぜ7インチか? 当時作られていた鉛筆が平均すると7インチだったから、と考えるのが妥当だが、日本には「大人の手の中指の先から手首までが約7インチだから」という説もある。しかしファーバーカステル社にそうした記録はなく、どうやら日本だけに芽生えた珍説(?)のようだ。ローター氏の定めた7インチは、何の強制力があるわけでもなかったが、間もなく世界に広まり、継承された。その背景にアメリカの工業化がある。
 歴史をひもとけば、黒鉛を使った鉛筆の登場は16世紀。その後フランスやドイツ、アメリカで競って改良されていく。製法と品質ではフランスとドイツが先進的だったが、いち早く機械化の動きが見えたのがアメリカだった。19世紀中頃にはニューヨーク周辺に鉛筆工場が生まれる。ファーバーカステルがニューヨークに進出したのもこの頃。同じ頃、木軸の原料としてメジャーになってきたのが、アメリカ産ヒノキのレッドシダーだった。硬すぎず柔らかすぎず、木目が真っ直ぐで香りもいい。鉛筆は芯が命だが、それを収める良質な木も絶対に必要だ。工場と良質な木材。双方がそろったアメリカは鉛筆の一大生産地になっていく。
 19世紀初めにはアメリカに「スラット」と呼ばれるレッドシダーを切り分けた木軸板があった。1枚で9本の鉛筆が作れる。そのサイズが幅63.5×厚さ6.3×長さ184mm。今もアメリカで作られ続けているスラットのサイズはほとんど変わらない。
「この長さが変わらない限り、鉛筆の長さは変わらないだろう」と、三菱鉛筆とトンボ鉛筆はいう。両社とも19世紀終盤から鉛筆を生産。ドイツ製が手本だったので長さは初めから7インチ。その後アメリカのスラットを輸入するようになり、現在に至るまで約7インチ。スラットもそれを作る機械も変わらないし、変える理由もないらしい。】

参考リンク:えんぴつ(鉛筆)データルームECO

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 「スラット」に関しては、参考リンクを見ていただければどんな形のものか御理解いただけると思います。

 「最近、鉛筆をどこかで使いましたか?」と尋ねられて即答できる人というのは、けっこう少ないのではないでしょうか。
 小学生のときには使わない日はなかった鉛筆も、大人になると、一部の業種を除いては、ほとんど手にする機会はないですよね。鉛筆の「消しゴムで消せる」という長所は、裏を返せば、「消えたり、消されたりしてはならない文書には使えない」という短所にもなりますし、そもそも、これだけパソコンが普及してしまうと、「筆記用具で文字を書く」こともかなり減ってきています。
 僕も1年以上前、マークシートの試験を受けた際に使ったのが「最新」の鉛筆を使った記憶です。それでも、コンビニには今でも必ず置いてあるんですよね。昔みたいに12本セットの「1ダース」で売られているのは見かけなくなりましたけど。

 このコラムを読むまで、僕はほとんど「鉛筆の長さ」に関して考えたことがありませんでした。そう言われてみれば、確かに鉛筆というのは多少の装飾の違いや片側に消しゴムがついているものがあるにせよ、「みんなほとんど同じ長さ」です。
 文房具として考えれば、デザイン上の個性を出したり、使う人の手の大きさに合わせたりするために、ものすごく太いのや細いの、長いのや短いのがあってもおかしくないはずなのに、みんな「同じ長さ」なのは、鉛筆の原型である「スラット」の長さが均一だから、なんですね。
 もちろん、「短くする」ことは不可能ではないと思われますが、やっぱりそれはちょっともったいない、ということなのでしょう。
 考えようによっては、これほど長い歴史を持つ文具なのですから、どこかのメーカーが、差別化するために「新しいスラットをつくる」という冒険をしていてもよさそうなものではありますが、鉛筆に対して人々は驚くほど保守的なのかもしれませんね。実際に使ってみたら、握りの太い鉛筆のほうが使いやすい、という人はけっして少なくないような気もします。

 まあ、「太さ」はともかく鉛筆の「長さ」っていうのは、使っているうちに一本一本違ってくるものではあります。そして、あれだけたくさん鉛筆を買って使っていたのに、どれも「最後まで使った」って記憶はあんまり無いんだよなあ。
 あの短くなった鉛筆たちは、いったいどこに行ってしまったのだろう……