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2008年02月06日(水) ■ |
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川上弘美さんが「専業主婦に挫折した理由」 |
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『阿川佐和子の会えばなるほど〜この人に会いたい6』(文春文庫)より。
(阿川佐和子さんと川上弘美さんの対談の一部です。2005年11月3日号の『週刊文春』掲載)
【阿川佐和子:小説を書き始めたのは?
川上弘美:SF研の雑誌をつくり始めたとき。雰囲気的には今とほとんど変わらないものを書いていましたね。ただ、若い者は自意識が強いので、恥ずかしくて読み返したくないです。
阿川:それ、残してありますか。
川上:あるんです(笑)。私、捨てないんです。『噂の真相』に載った嫌な記事とかもちゃんととってある。嫌なことがあればあるほどそれを見届けたい、というか。これはきっと小説家に向く資質だと思うんですけど。
阿川:私、向いてないわ(笑)。
川上:昔、あまりよく知らない男の子からもらった、「きみを殺すにはこういう方法でやる」などという変質的な手紙もとってある(笑)。あと50枚にわたる愛憎入り混じった、でもおもに罵倒のラブレターとかね。怖い、どうしてそんなものが来るんだろう。
阿川:知りませんよ(笑)。ラブレターもとってあるの?
川上:ほんとに大切なものはとってありますけど、どちらかといえば嬉しいものより変なもの、怖いものをとっておきたがるのかもしれない。
阿川:やっぱり変な人だよ(笑)。
(中略)
阿川:で、就職はうまくいかなくて。
川上:大学院も落ちて。さる出版社を受けたけど、「著者に原稿依頼の手紙を書け」という試験問題が出て、時候の挨拶を考えているうちに時間が終わっちゃって落ちて(笑)。
阿川:アハハハハ。
川上:父のツテで研究室に押し込んでもらったんですけどここでもさぼってばかりで。「小説を書いていきたいんです」と父に言ったら、「お前は行李いっぱい書いてみたのか!書き散らしてるだけでものが書けるはずがないんだッ!」と叱られて。
阿川:で、北の湖との結婚話が出たのね(笑)
川上:そうそう。でももちろん北の湖どころか誰と結婚するアテもなくて、2年ほど研究生しつつウロウロしてたら、友達が教員の口を紹介してくれて、中学・高校一貫の女子高の理科の教師になったんです。
阿川:先生業はどうでしたか。
川上:教えるのは嫌いじゃなかったけど、私、だめな人間なので、担任を持っても生徒のことを親身になって考える能力がないんです。いや、自分では親身になってるつもりなんですけど、考えも人生経験も足らないし、通り一遍のことしかできない。自己嫌悪に陥るばかりで。
阿川:先生が登校拒否になっちゃうような。
川上:時々、嘘ついて休んでましたよ。叔父が亡くなったっていうのを4回ぐらい使った(笑)。
阿川:叔父さん何人いるんだ(笑)。
川上:それで、この職業も向かないと思ってるところに、結婚してくれるという人が出てきて、おまけにすぐに転勤で名古屋に行くと。私のためにも生徒のためにもよかったァって仕事やめて(笑)。
阿川:逃げたい気持ちもあった。
川上:絶対あった、すごくあった。でも、そういう言い方は夫に失礼ですね。結婚したのは単純に夫が大好きで、一緒にいたかったからです(笑)。
阿川:旦那様と知り合ったのは?
川上:大学時代に、同じSF研の仲間だったんです。
阿川:結婚なさってからは、ご主人の転勤にくっついて……。
川上:4、5ヵ所行ったかな。専業主婦は自分に向いていると思っていました。主婦の仕事って家事よりもむしろマネージメントがメインでしょう? お金のことを含めて家庭を回していく。
阿川:やったことないから、わかんない(笑)。
川上:今はものすごい丼勘定ですけど、当時は家計簿もバッチリつけて、来月の予算とか1年の予算を組んだりするのが面白くて。だけど、子どもの友達のお母さんと付き合わなくちゃならなくなって、また挫折しちゃったんです。
阿川:あれは大変そうよね。
川上:でも、私、団地の子ども会の仕事とか、幼稚園の学級委員とかどんどんやってたんですよ。仕事になっちゃうのはいいんです。もっと微妙なお付き合い、おうちに呼ばれたり、呼び返したりみたいなことがひどく苦手で。
阿川:主婦は社交が仕事ってとこがありますからね。
川上:そう、それ。で、苦手意識に押しひしがれたところから出てきたのが、デビュー作になった『神様』という短編なんです。】
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この対談を読むと、川上さんにとって、「小説家」というのは、まさに「天職」だったのだな、という気がします。というか、女子高の先生、しかも国語ならともかく、理科を教えていたことがあるなんて!どんな先生だったか、この対談を読んでいるとなんとなく想像はつきますし、生徒たちにとっては「なかなか面白いお姉さん」だったのではないかとも思うのですが、御本人にとっては、かなり辛い体験だったみたいです。
僕がこの「小説家になるまでの川上さんの職業遍歴」を読んで感じたのは、「どんな職業でも、外から見たイメージと、実際にその仕事についてから必要とされるスキルというのは、けっこう違うものなのだな」ということでした。「親身になる能力が足りない」なんていうのは、なんとなくわかるような気もするのですが、それはむしろ川上さんが「本当に親身になっていない」ということを受け入れられない、自分に嘘がつけない人だというだけではないか、とも思うんですけどね。
なかでも「専業主婦」というのは、「とりあえず家事をキチンとやって、家計をしっかり管理して、とにかく家の中のことをしっかりやればいい立場」だと僕は考えていたのですが、実際に「専業主婦体験」をしてみた川上さんにとっては、主婦こそ「社交が仕事」のように感じられたのだそうです。 もちろん、外界との付き合いを極力絶つようなやり方を貫いている人だっているのでしょうが、そういう家は、事件が起こったときに、ワイドショーで近所の人に「あの家の人は道で会っても挨拶もしない」なんて言われてしまいますし、子供に友達がいれば、普通は「子供の友達のお母さん」を無視するわけにはいかないはずです。 仕事として役割が決められている状況なら、他の人と接するのもそんなに苦痛じゃないけど、「付かず離れずみたいな微妙な関係を自分で距離を測りながら続けていく」というのがけっこう辛いというのは、僕にもなんとなくわかるんですよね。
たぶん、世の中には、「サービス業に疲れたから、専業主婦になりたい(あるいは、なってしまった)」っていう人も少なくないと思うのですが、実際は、「家のことだけやっていればいい」なんて簡単なものではないのです。まあ、こういうのって、どの職業でもそうなのかもしれません。 学校の先生も「授業をやって生徒と接しているだけじゃない」し、医者だって、「患者さんを診て病気の治療をしているだけじゃない」。結局、どんな職業も、最後にモノを言うのは「コミュニケーション能力」なのかもしれないな、と考えると、僕はもう暗澹たる気持ちにさいなまれるばかりです。
それにしても、川上さんのところに来た数々の「ヘンな手紙」のエピソードを読むと、小説家になれるような人というのは、こういう体験を呼び寄せる何かがあるのではないかと考えさせられますね。
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