初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2007年05月10日(木)
『天才柳沢教授の生活』がロングランになった「転機」

「papyrus(パピルス)2007.6,Vol.12」(幻冬舎)の特集「漫画家・山下和美〜人間の不思議と世界の普遍を探して〜」より。

(「山下和美ロングインタビュー」より、山下さんが、『天才柳沢教授の生活』の連載をはじめた頃の話です)

【「友達の漫画家さんのアシスタントに行っていたら、その方の担当さん経由で『モーニング』の編集者がスカウトに来たんです。私は『モーニング』っていう雑誌のことを当時よく知らなかったんですけど、『週刊マーガレット』でうまくいっていなかったこともあって、まあいいや後は野となれ山となれという感じで。
 まず最初、カラーのイラストエッセイ1ページを増刊号に載せてもらいました。”私が好きな男のタイプ”というテーマで父のことを描いたんですけど、それを見た編集長が”このキャラで本誌に漫画を描いてくれないか?”と。”本当にこのネタで一話できるの?”と戸惑いながら描いた、それが『天才柳沢教授の生活』の第1話(88年7号)です」

 20代から30代の男性と主要読者層に、ぎらぎらした男同士のけんかを描く劇画調の連載漫画が並んだ当時の誌面上では、異色中の異色。愛おしくもヘンな柳沢教授とさまざまな人々、世の中との繋がりを、一話完結形式でポジティブに描く『教授』は、「モーニング」編集部と雑誌読者にとって、新しくて面白かった。
 しかも、週刊誌なのに週刊連載ではなく、ほぼ月1ペースのシリーズ連載。男社会の青年誌上で、少女漫画出身の女性作家が描く。そんなケース、漫画界全体を見回しても他になかった。

「やっと自分の異色さをウリにできる漫画が描けた、載せてもらえたと思って、すごく嬉しかったです」

 89年1月に第1巻が発売された時は「3話で終わると思ってたのに!」と心底驚いたそうだが、それから十数年。'07年の今も続く長寿連載となり、「モーニング」の顔として定着している。

「夜9時になると寝ちゃうとか、道を直角に曲がるとか。最初の頃は教授のヘンな特質を、教授を観察する周りの人々の方に視点を置いて描いてたんです。それだけだったらたぶん、1巻で終わっていたと思う。途中で教授の側に視点を置いて、教授が世の中から何かを”発見”する話に変化させたんですね。”発見”をきっかけに教授が世の中のことを”勉強”する、そのテーマを見つけたからロングランになったと思う」

 柳沢教授が”発見”し、”勉強”するのはこの世界や、この世界を生きる生物たちだ。つまり少女マンガの世界とは異なる生身の人間、生身の現実が、この漫画にはいっぱい詰まっている。

「老人とか子供とか、やくざとか。『教授』では今までいろいろなキャラクターを描いてきましたけど、描くのが難しいと感じることは一切なくて、全部が全部楽しいです。ただ、恋愛で頭がいっぱいの少女漫画の女性キャラを描いていた時は、苦しかった(苦笑)。パターンにハマった人を描くのが苦手なんですよ」

「人の話を聞くのが透きなんです」と、山下さんは続ける。

「人を観察することも。たぶん、つまらない人って、この世にいない。自分ではつまらないと思っているかもしれないけど、誰もがみんな、それぞれの形で、面白い人生を歩んでいると思う。その”それぞれ”を、私は描きたいんです。幸せの感じ方も、将来の目標も、人それぞれでいい。みんなと同じがいいなんて、もったいないと思いませんか?」】

〜〜〜〜〜〜〜

 このインタビューによると、大学の経済学部の教授をなさっていた山下さんのお父さんが、「柳沢教授」のモデルになのだそうです。
 横浜国立大学美術学科の2年生のときに「週刊マーガレット」でプロの漫画家としてデビューした山下さんなのですが、「少女漫画は恋愛中心主義だから、読者に受け入れられなかった」ということで、28歳で少女漫画誌の専属作家としての活動を辞めてしまいます。少女漫画誌時代には、「あまりに人気がなくって、アンケートを自分で出しましたから、本当に(笑)」なんて話もあったのだとか。今となっては笑い話にできるのでしょうが、当時はかなり追い詰められていたはずです。
 当時の少女漫画界というのは、全体的にみれば、必ずしも「恋愛中心主義」の作品ばかりではないので、「週刊マーガレット」という雑誌の読者層や編集者が求めていた作品と山下さんの作風が合わなかった、ということなのかもしれませんが。

 僕がこの山下さんのインタビューを読んでいちばん印象に残ったのは、『天才柳沢教授の生活』がロングラン作品になったのは、「視点」を「教授を見る周囲の人々」から、「教授自身」に変化させることができたからだ、と語られている部分でした。
 柳沢教授は、かなりインパクトがある特異なキャラクターですし、普通だったら、「教授のヘンなところを徹底的に描こう」とするはずです。現に、山下さん自身も最初はそうしています。
 でも、もしそのまま「柳沢教授の変人っぷりを周囲の視点で描き続ける」という選択をしていたら、作品はこんなに長続きしていないはずです。だって、どんなに変わった人であっても、一人の人間の「引き出し」というのは、やっぱり限られていますしね。それこそ「3話ぐらいで終わり」になってしまったかもしれません。

 山下さんは、「ヘンな人」である柳沢教授から観た「世界」を描くことによって、「みんなが『普通』だと思い込んでいる人や物事は、ちょっと角度を変えてみれば、いろんな『発見』に満ち溢れているのだ」と語り続けているのです。確かに「普通の人々の日常」が題材になるのですから、ネタ切れにはなりにくいはず。
 でも、こういう「視点の転換」って、聞いてみれば簡単そうに思えるけれど、実際に発想し、作品にするのって、けっしてたやすいことではないんですよね。「柳沢教授の目から見た世界」を描くのって、「外部から見た柳沢教授の不思議な生態」を描くよりも、はるかに難しいことのような気がします。