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2006年04月18日(火) ■ |
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「年はいくつですか?」と聞かれる不快感 |
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毎日新聞の記事より。
【高松地検の川野辺充子検事正が就任会見で年齢の公表を拒む一幕があり、杉浦正健法相は18日の閣議後会見で「世間では女性に年を聞くのはタブー。気持ちはよく分かる」と述べながら、「法務・検察幹部の年齢は公益性が高い情報。隠すことはない。オープンでいい」との認識を示した。 12日の就任会見で記者から年齢と生年月日を聞かれた川野辺氏は「プライベートなことなので」「女性に年齢を聞くんですか。すごいですね」などと述べ、公表を拒んだ。法務省が発表した人事異動の資料でも、川野辺氏が公表に同意せず、当初は生年月日と出身大学が伏せられていた。一部記者の指摘後、これらの情報が記載された略歴が改めて配り直された。 川野辺検事正は7日付で最高検検事から同地検検事正に就任した。過去に秋田地検検事正も務めており、二つの地検で検事正になったのは女性では初めて。】
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僕は最初にこのニュースを耳にしたときには、「いや、川野辺検事正も、そこまで頑なにならなくても…」と感じました。地検の検事正といえば、「公人」に属するでしょうし、ある程度「情報公開」を求められるでしょうから。本当に不躾な話ですが、「別に隠すような恥ずかしい年齢や出身大学でもないだろうにねえ」などとも、ちょっと考えてしまいました。 でも、考えてみれば、失礼なのはこの記者のほうなんですよね。
<以下の話はフィクションなのでひとつよろしく> そんなに前の話ではないのですが、僕がある病院の医師と電話で話していたとき、その相手は突然怒り出して、こんなことを言い始めたのです。 「先生、年はいくつですか?」と。そして、「そちらが年下なら、そんなにいろいろ聞かずに、黙ってハイハイと素直にこちらの言うことを聞くべきではないか」と。 普通に患者さんに対するやりとりをしている最中だと思っていたので、僕はなんだかものすごく面食らってしまいました。なんでも、僕の喋り方が気に食わないとか、そういう理由だったらしいのですけど。 <フィクション終わり>
この人は、「年齢を聞く」という形式をとりながら、実は「お前みたいな若造が!」と言いたかったのです。僕は、年を尋ねられたとき、「今年で60歳になりましてのう、ゴホッ、ゴホッ」とかやってやろうかと一瞬悩んだのですが、一応大人ですので、結局それを実行には移しませんでした。でも正直、「なんて失礼な人なんだろう…」とは間違いなく思ったんですよね。あなたは、相手が年下だったら、どんな理不尽でも通ると考えているのか?とか、相手が年上かもしれない状況でも、そんな無礼な質問をするのか?とか。 そもそも、僕の経験上、公の席で相手の年齢を聞く人にロクな人間がいたためしがありません。 僕がいくつであろうと僕は僕でしかないのだし、僕の言っていることが間違っているのなら、「年はいくつですか?」なんてまわりくどい言い方をせずに、間違っているところを指摘してくれればいいのです。 僕だって、相手が尊敬すべき人間であれば、実年齢が年上だろうが年下だろうが、「尊敬すべき人間に対する態度」をとっているつもりなのに。
そりゃあ、年齢というのもお見合いパーティの席とかなら必要な「情報」でしょうし(釣書見とけよ、という話ですが)、酒席などで、初対面の年が近そうな人に対する接し方を判断するために「おいくつなんですか?」なんていうのにまで目くじらを立てるつもりはさらさらありませんが、この記者会見のような公の場で、「あなたはいくつですか?」なんていうのは、問われている側にとっては、いわば、「鼎の軽重を問われている」ということにほかなりません。 川野辺検事正の年が40歳であろうが80歳であろうが、いまこの場に存在しているのは、「同じ人間」なはずです。年齢や生年月日なんて聞いて、何か有益なことがあるのでしょうか?それこそ、「あの若さで検事正なんて」とか「苦労されたんだねえ」とか、余計な評価をされるための「燃料投下」になるだけなんですよね、年齢なんて。それとも、誕生日プレゼントでもくれるのでしょうか?いや、そもそも、この場合の「公益性」って、世間の人々の興味を満たすため以外の何の意味があるのか、僕にはさっぱりわかりません。検事としての能力というのは、年齢によってそんなに左右されるのかね。 それでもやはり「公人」としては、「経歴詐称」「学歴詐称」なんていう問題が生じる場合もあるから、「公開」が必要なのでしょうか?でも、それが必要だとしても、記者会見の席で、わざわざ問いただされるようなことなのでしょうか?というか、書いてなければ自分で調べろよそのくらい。
川野辺検事正さま、僕はあなたがいくつでも、何大学出身でも一向に構わないので、どうか、いいお仕事をなさってください。それが、唯一の「判断基準」です。
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