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2006年03月03日(金) ■ |
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妻をピアノ教室に行かせたくない理由 |
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「マダムだもの」(小林聡美著・幻冬舎文庫)より。
【それはそうと、近所にこれだけの習い事教室がひしめいているのである。始めないテはないではないか。 さっそく、手始めにピアノのお教室に見学に行ってみようかなー、とオットにその旨、話してみた。すると、オットは急に顔を曇らせて、 「え? ピアノ? えーっ。それはやめてよー」 と言うではないか。彼は、少年時代、ほんの少しの期間だったらしいが、ピアノを習っていたことがあり、婿道具として実家からはピアノを持ってきていた。今でも、気分転換にピアノを弾くこともあり、ひとつの曲をしつこいほどに延々と練習したりして、レパートリーは1、2曲だが、なんだかとても楽しそうであった。たま〜に、連弾というのだろうか、簡単な右手のパートをワタシに弾かせてくれることもあり、お互い趣味のないものどうし、これは唯一、老後の共通した趣味になるのでは? と、かなり盛り上がっていたのに。 「え? な、なんで。楽しいじゃん。一緒に弾くの」 「……そういうことじゃなくてさ……」 ってどういうことだかよくわからないが、オットは、突然ブルーモードに入ってしまった。 「ピアノはやめてよ、お願いだから」 「だからなんで?」 「……だって、ピアノだけでしょ?」 「なにが」 「ぼくが、キミより上手なの」 「は?」 「ほかは何もできないでしょ」 「?」 「ほかにとりえは何もないでしょ」 「……な、なに言ってんの」 「唯一、優越感に浸れるモノでしょ。それまでどうぞ奪わないでください」 「…………」 なーんか。どうでしょ。こういうの。一瞬ちょっと気の毒とは思ったけれど、なに唯一の優越感って。それほどまでに、ワタシは、オットに対してけちょんけちょん?そんなことはないでしょう。それに、ワタシにできることだって、たいしたすごいことなんか全然ないし、むしろ、いろんな意味で、オットのことは尊敬さえしているというのに。一方、バレエとなると、 「バ、バレエ? あ、それはイイね。いいよいいよ草刈民代みたい?」 って、アンタそら草刈さんに失礼だろうが。玄米ゴハン食べさすぞ。とにかく、オットは、ワタシがピアノを習うことに断固反対。 「……でも……やっぱ、いいよ」 「え、いいの?」 「うん。……そしたらぼくがピアノをやめるから」 って。サビシそうな目で、遠くを見つめている。 「なんでやめんのさー」 「だって、絶対ぼくよりすぐ上手になるもん」 ……なんか、やーな感じでしょ。ああ見えて、オットはかなり頑固である。 そして、ワタシに対してのなにもそこまでな対抗意識。 とはいうものの、誰の人生って、ワタシの人生だからねー。 どうしたもんでしょうか。とりあえずバレエやっとく? でもやっぱりピアノもやりたい。】
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この文章を読んで、みんな、どう思うんだろうなあ…と僕は考え込んでしまいました。やっぱり、「そんなふうに、妻の趣味や向上心を認めない男なんて最低!」というのが一般的な感想なのでしょうか。 僕自身は、この文章を読みながら、オットのほうに、ものすごく感情移入してしまいました。いや、もちろんこのエッセイ集をこのページまで読んできて、小林さんの優秀さというか、パワフルな仕事のこなしっぷりを知っているから、という面もあるのだとは思うのですが。 一般的に、人間にはプラス面とマイナス面があるし、それを補い合っていくのが夫婦という存在なのでしょう。そして、自分のパートナーは優秀であればあるほどいいし、お互いに高めあっていくのが理想の関係…のはずですよね。 しかしながら、あまりに「優秀なパートナー」と一緒にいると、身近な存在だけになおさら、自分の「コンプレックス」というのが増幅していくのを感じるものではないかと思うのです。そりゃあもう、どちらかが「あなたまかせ」ならともかく、お互いにプライドがあればなおさら。でも、この「パートナーに対するコンプレックス」の最大の問題点は、そのコンプレックスを抱いている本人にとっては、その「コンプレックスそのもの」だけではなく、「自分のパートナーに対して嫉妬するなんて…」という「罪悪感」も同時に抱えてしまう、ということなんですよね。 まあ、そういうパワーバランスがうまくとれていれば、「これは負けているけど、こっちは自分のほうが上だし」と、総合的ににはコンプレックスは中和されてしまうはずなのですが…… たぶん、このオットにとっては、家のなかの出来事で、妻に対して優越感を抱けることがこのピアノしかなくて、それまで負けてしまったら、「コンプレックスのオーバーフロー状態」になってしまうのではないかという気がします。些細なことに思えるけれど、こういうのが「心のよりどころ」だったりするのでしょうね。
ちなみに、御存知の方も多いでしょうが、この小林聡美さんの「オット」は、脚本家・映画監督の三谷幸喜さんです。当代随一の人気脚本家でも、自分の妻に、こんな気持ちを抱いているなんて……ほんと、人間の「コンプレックス」ってやつは、外からみても全然わからないものみたいです。
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